今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

おかえりモネ


NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」…あの「おちょやん」の次に登場した朝ドラです。


ドロドロのグチャグチャなのに大団円という朝ドラの王道を貫いた「おちょやん」に続いて始まったのは、昭和初期の街並みもなく、泣かせる子役の登場もなく、広瀬すずの「なつぞら」で可哀想なくらい実年齢より上の役を演じ、むしろ広瀬すずよりよっぽど女優でアッパレだった清原果耶さん主演のテレビ小説「おかえりモネ」…


お話の舞台は現代。東京放送局担当の春バージョンは、やはり東日本大震災を抜きには語れないようで、今回はまさにど真ん中の被災地気仙沼と連絡船で行き来のある大島の若者たちを中心に描く。


正直、前作の終わり方に全く納得いかない私としては週末2日挟んだだけで、全く違う天地に飛び込むことはできず、タイミングが合えば、朝見たり、昼見たり、夜見たり…という感じでぼんやり視聴していた。土曜の朝のまとめ放送は「エール」から、コロナで撮影が進まないために設けられたものだと思うが、その進行を気仙沼東日本大震災を経験したサンドイッチマンの2人が担う。平日を見逃しても土曜のまとめでなんとなく見た気でいた。


最初、主人公の暮らす舞台となったのは宮城県登米市で主人公の出身地である気仙沼市の隣接市だ。実家から少し離れた距離のところで主人公の生活が始まる。そこがミソ。なぜ、主人公は地元を離れたのか…結局、これがその後しばらくの主題となる。そのためか、通常泣かせる子役の登場はなく、回想のシーンの1つとして主人公の子供時代が登場するのみ。主人公は最初から高校生を卒業したばかりの新社会人だ。


後で知ることになるが…


東日本大震災当時、津波気仙沼市内の火災で本土と隔てられてしまった実際の大島では地元にいた中学生たちが学校の給食室で炊き出しをし、島で孤立した高齢者を中心とする人々を助けた話はその後素晴らしいエピソードとして広く知れ渡り、このエピソードが本作の根っこにあったらしい。実際、年齢的には主人公はその時の中学生たちの1人なのだが、ちょうどその日、受験の関係で父親と仙台に出向いており、震災で隔たられて、本土にいた。


島へ戻れたのは数日後。それは当時、仕事を持ち、島から本土へ出勤していた多くの島民たちも同じ状況だったはずだが、幼なじみたちが必死に島で立ち上がろうとしていた数日をただ1人共に出来なかった主人公は深く深く傷つく。


放送時期はちょうど震災から10年の歳月が流れ、当時中学生だった子どもたちも成人し、それぞれの道を進んでいる。その過程を主人公の百音に視点を置き描く物語。百音の幼なじみである同級生4人と百音の2つ下の妹、この6人は何かあれば集まる仲間で、狭い島のコミュニティーの中でそれぞれの家庭も巻き込んで恐ろしく濃い人間関係が築かれている。


正直、こういうのは私が1番苦手な関係性で、特に予告チェックなどした記憶は全く無いのに、盆暮れの帰省で島に帰る百音を描いた部分は全く見ていなかった(汗)。


最初のお盆休みで帰省した帰りのバスで、百音の働く森林組合に隣接する診療所の医師、菅波に出会うところから、少しちゃんと見る度合いが高くなっていった。実はここで、「あぁ、彼がモネちゃんの好きになる人なんだ」と思ったから。そうじゃなかったら、ここで坂口健太郎をキャスティングする意味が分からない(汗)。


少しずつ見始めたけれど、ジャニーズ枠と思われる永瀬廉くん演じる亮とその父親が登場すると一気に見る気が失せていくのは、もう仕方なかった。


抑揚のない台詞回しと何も言わずとも苦しんでますって顔してながら演じてる永瀬廉くんを見ると、登場人物に年齢の近い若い俳優を使う功罪のようなものが見えてくる気がした。こうしたタレントさんでなく、名前はなくともちゃんとした俳優さんを就けるべきではなかったか…この後、物語の中で亮は結構大きなウエイトを占めていく。少なくとも永瀬廉くんの力量で十分演じられる役を他に用意してあげれば良かったのではないか…例えば、幼なじみの中で1番安定したポジションにいた悠人役など。


注目されるポジションにジャニーズのタレントを配することで、製作陣はそれなりに視聴率を期待したのかもしれないが、あの役では主人公と並ぶことは出来ないし、物語の中盤で芝居のできる百音の相手役である坂口健太郎くんがクローズアップされる頃合いになると圧倒的な芝居の力量の差が目につき、むしろ残念さが強くなる。


SNS全盛の時代。ドラマに対する感想や期待が多く語られるようになると、永瀬廉くんが主人公の恋の相手では無いことに拘る人たちが登場し始める。物語的に、人一倍生きるのに苦しんでる亮が別な形で苦しんでいる百音を助け、支えることなどできはしないのは一目瞭然なのに、話の展開に異を唱え、亮とは関係ない方向へ進む話を批判し、挙げ句、亮を選ばなかった主人公を批判、さらには演じた清原果耶さん自体の俳優としての資質を問う意見まで散見されるようになる。製作陣も今後はよくよく考えてキャスティングをすべきだと思った。物語の展開に亮が関わらないというより、永瀬廉という人が関わらないことが非難されていたのだから。


この展開にはドン引き(汗)。


ところが、そうした声を押し留めてしまう現象が発生する。それがTwitter上で展開された「#俺たちの菅波」の登場。坂口健太郎くん演じる菅波医師が登場すると放送後のTwitter界隈はこのハッシュタグをつけて大いに盛り上がったのだ。


2度目の百音の亀島への帰省の頃、亮と父親の新次の関係は最悪の状態になっていた。あの震災の日、母親の美波は津波に流され、行方不明になった。その母を巡り、立ち直ることを拒否する父親とあの日に戻るために漁師になった亮との関係は、もう百音や亮のことをずっと好きだった妹の未知の手に負える状態ではなくなっていた。


しかし、島の狭いコミュニティーで関係性の濃い永浦家と及川家は、及川父子の問題がまるで自分の家のそれのように深く関わっていくことになる。なぜそこに娘たちまで関わらせていくのか、私にはどうしても理解できなかった。少なくとも、ドラマを見ていたこちら側としては、百音は傍観者にしか見えず、自ら問題の中へ飛び込んで、なんとしても及川父子の再生を願い、行動してるようには見えなかった。結局、この立ち位置が亮をして百音の気持ちを誤解させたんだろう。罪作りな永浦家の大人たち。ここに百音の心を救い出すサヤカや菅波のような人間が現れなかったら、百音は自分の意思の在り処も分からず、同じ島に戻るという行為も全く別の意味になったはずだ。


こんなだから、私は時折挟まれる「気仙沼編」がどうしても嫌だった。最終盤になって、様々乗り越えて百音、自らが地元の島に帰る「気仙沼編」はまだ多少受け入れやすかったが、ここでも語られるのは及川父子の変わらない葛藤と未知の煩悶で、さらにあの日封印した大人たちのそれぞれの思いの決着に多くの時間が割かれ、それまで、物語を牽引してきた菅波医師と百音の関係は、ほとんど描かれることがなくなった。


この中途半端な展開はなんだろう。こんなことなら、あの日の思いを抱えながら、1人立ち上がって生きていく百音を描けばよかったのに。。。


菅波医師が誠意を尽くして、百音を支え、島への道を開いたなら、それで終わりで良かった。あの日の中学生たちのその後に焦点を当てるなら、悠人や明日美など幼なじみの中でも比較的その心の内まで描かれなかった人物にも時間を割けば良かった。


「朝ドラ」は「月9」ではないと言ってる人がいたが、菅波と百音の関係は単なる恋愛ではなかったように思うのは私だけだろうか。やるならやるで、徹底したものを見せれば良かったのに。


及川父子が歩み寄り、前進することが百音の望みだったなら、もう少し描きようもあったのに。百音にとっては大切な幼なじみ以上でも以下でもない亮の存在が、彼に拘る妹によって、おかしな方向に行ってしまったように思う。


もう少しその辺りをスッキリ描いていたら、菅波医師のバックボーンも知れただろうに。まぁ、少なくとも震災に関係ない彼の背景はいらなかったということなのか。。。


なんだか、菅波医師の存在自体が百音が自分の足で立ち上がり、故郷の島へ戻るまで手助けするありがたい人物として、軽く描かれてる印象は拭えない。彼を呼吸器外科の医師の設定にしたのはなんだかやっつけ仕事のようにも思えてしまう。


震災10年の年、世の中はコロナ一色だった。菅波医師はまさにそのど真ん中に放り込まれる。心が通じたからという理由で2人が隔てられた2年半の月日は全く語られない。最後の最後、たった3分の百音との逢瀬で菅波医師がコロナ治療の最前線に身を置いてきたことを匂わせる。


震災の痛みに寄り添う物語のラストがコロナに入れ替わる。確かに現在の真実ではあるが、だったら、そこへ向かう2人も描くべきで、時間の制限は初めから分かっている中でのこの描き方が、やはり、全てを網羅するようで全てを中途半端に投げたような印象が強く残る。


本作で1番の収穫(1番と言いながらいくつかある…)は、夏木マリさんはカッコいい女が似合い、高岡早紀さんもカッコいい女、そして、坂口健太郎くんはこんなに芝居が上手かったのね…と。


最後に…菅波役に坂口健太郎くんを配したキャスティングは、「スカーレット」の溝端淳平とか、「半分、青い」の間宮祥太朗的な配置かと思ってた。まさか、主人公でもないのに、1年のスケジュールを押さえてるとは思いもせず。


最初は主人公モネが登米から気仙沼に直行する「おかえり」だと思ってたので、そこまでの登場なのかと思ってた。でも、これは違うんだと思ったのはトムさんが写真立てに入れてた写真を見た時。たまたまモネと菅波が話してるところを写した写真。あれで「つづく」になった時、あぁ、この2人は「運命の2人」なんだと。まぁ、そこからが恐ろしく長い道のりだったけど(汗)。


とにかく、「朝ドラ」には珍しい長い長い現代劇、お疲れ様でした。