今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

その日東京駅五時二十五分発


天は二物を与えず…というけれど、ここに二物を得て、才能豊かに活躍している女性がいる。


映画も良いけれど、私は作家として、彼女が世に送り出す小説の方にさらに魅力を感じてる。


というわけで…


「その日東京駅五時二十五分発」西川美和(新潮社)


以下、感想…



















淡々と始まる物語。


とびきり厳格な祖父の顔に、その「されこうべ」が透けて見えるようになる主人公の独白から始まる物語が、まさか終戦を間近に控えた日本の日常だとは思いもしなかった。


戦地に送られるわけでもなく、戦闘機の攻撃に晒されることもなく、終戦間際に召集され、広く知られることの無かった情報部隊に属し、なにより、所属部隊の特性から他より早く終戦の現実を知らされ、様々な事後処理をした上で、、誰よりも早々と帰還した初年兵の現実。


これが西川女史の伯父様の手記に依ると知った時、西川女史は、才能だけでなく、「人」の縁にも、ある意味恵まれているんだと…


西川女史の小説だから、読むまでは、映画化が前提だと勝手に思ってたけど、この伯父様の物語は、映画には不向きな気がする。


そして、この小説は普通と違い、西川女史の「あとがき」も込みで、1つの作品として、読むものなのだと。


「あとがき」で、西川女史本人が述べているけれど、伯父様のえらく淡々とした戦争体験が彼女の知るそれとまるで違うことがかえって彼女の救いになったようで…


似たような話は、私にもある。


私の母は、埼玉の生まれ。今なら、電車で30分もかからない東京のベッドタウンとも言えない…普通に通勤圏の町…


戦中は小学生で、上にいる3人の兄姉が、それぞれ工場などに住み込みで、召集(こういう表現で良いのか?)されており、家には父親と自分しかいなかった。


母親は病死しており、物心ついた時にはもういなかった。


小学生だった母は、戦時中も普通に白米を食べ、何日かに1度は塩鮭を食べていたのだそうだ。


母の実家が特段裕福で、戦時に優遇されるような身分でもなく、つましい農家だったのに…


なんと、配給のミスで、家にいないはずの兄姉の分までが届いていたのだという。


正直者の父親(私の祖父)は、地域の責任者に申し出たのだけれど、母親のいない私の母を不憫に思い、父親に何かあった時にこれが娘を守ってくれるのだから、黙って受け取れと諭されたそうだ。


母は、戦時中、1度しか戦闘機を目にしなかったそうだ。それも視界の端に捉えただけだという。


母が「戦争」を感じたのはむしろ戦後だったそうだ。


目にしたことのないような高価な反物や貴金属を担いで、若い女性が訪ねてきた時、母は確かに戦争があったのだと幼心に感じたのだそうだ。


西川女史の伯父様ほどでは無いにしろ、私の母もあの時代に差し迫った危機感を感じないまま終わりを迎えた。


一風変わった戦争の記憶を幼い頃から聞いてきた私には、西川女史の伯父様の淡々とした戦時体験がリアルに感じられた。


小説としてはかなりの短編ですから、是非読んでください。これも戦争体験です。