今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

泣く男


ん〜( •́ㅿ•̀ )困った…


コメントに困る〜


どうしても「アジョシ」と比べちゃうでしょ?


で、ウォンビンチャン・ドンゴンの佇まいを比べちゃうでしょ?


ん〜…


やっぱり、チャン・ドンゴン、無理があるっていうか。今までの彼のイメージに無い役どころに果敢に挑戦して、まぁ形にはなってるけど。


チョン・ウソンならもっとハマると思うんだよねぇ。


なにしろ、チャン・ドンゴンの丸顔が戦う男の厳しさを緩和しちゃってるんだよね…頬もこけて、しっかりアクションに向けて、絞っては来てるんだけど、でも、丸顔だけはもうどうしようもない(>_<;)残念。


クォン・サンウと同じだなぁ…


役に応じた表情をぴったり出せるのもその役者の力量と言えなくもない。背の高さや顔の形など、本人にはどうしようもない部分で、残念だとね。


ただ、ストーリーは「アジョシ」のイ・ジョンボム監督ですから、痺れる男の戦いを描いています。


ある孤独な殺し屋が主人公。依頼された男を殺害した現場で、誤って殺してしまった少女。彼女の姿が目に焼きついてしまう。


アメリカの荒野で少女と同じ年頃に母親に捨てられた男。少女を殺してしまったことで、当時の困惑や悲しみを追体験することになる。


そして、この仕事の始末をつけるために生まれた国、韓国へ舞い戻った彼は、少女の死を悼む母親を殺すよう命令される。


身寄りの無いアメリカの荒野でたった1人取り残された少年が人並みに暮らせるワケはなく、彼は生きるために「人殺し」を生業として生き抜いてきたのだろう。


なんとも、悲しい。


そして、そんなふうに必死に生き抜いてきた彼の命は、彼に命令を下す者たちにとっては他に代わりの利くものでしかないのだ。


本人は何も望まず生きてきたんだろうなぁと。そして、自分の子供時代を振り返るきっかけが少女の死で、そこで初めて自分の意思で戦うことを選びとったんだろう。なんとも悲しい孤独感。


男の戦いのクライマックスは、向かい合わせに建つマンションでの銃撃戦。


凄い迫力。


銃撃戦に至るまでの部屋の狭い廊下でのアクションも迫力満点。


この辺の盛り上げ具合やシビアな銃撃戦の描き方はもうとうてい邦画の追随出来ないレベルで…


復讐とか怨念とか人間の感情の奥底にある暗く重い何かを映像の中で示すことに関しては、お国柄とは言え、感情表現の激しい国民性が大いに役立ってるんだろうなぁ。


嬉しい時は大いに喜び、悲しい時は大いに泣く。


この主人公も最後は子供の頃から抑えてきた様々な感情に耐えきれなくなって号泣する。


殺人マシーンとして何の希望も持たずに生きてきた男。流した涙のおかげで、感情を取り戻した彼が最期のその時を自ら選びとって銃弾の前に立つ。


共に生きながら、お互いに銃を向け合うことしか出来なかった仲間に手を取られて立ち去るラスト。


これで痺れなきゃ、なんで痺れるってほどの描き方よ。イ・ジョンボム監督、こういうとこ凄いのだ‼


次回作は全く別路線を考えてるというインタビューを見た。別路線でも、それでも、期待してしまうではないか‼‼