試写会にて観賞。
しかも、上映後に監督のフランソワ・ジラールさんと主演の少年ギャレット・ウェアリング君が登場するトークショーも‼
まず、一言。良い映画です。心温まる素敵な映画。
少年たちが多く登場するけれど、ガチャガチャと騒がしいシーンはほとんどなく、1人の少年の成長記録をじっくりと観る形。
主人公は、1人の少年。名前はステット。彼は何か苛立ちを抱えている様子。学校でもいつも揉め事の中心にいる。たった1人の家族である母親の荒んだ生活が彼の心に影を落としている。
シングルマザーで彼を育て、次々と付き合う男を変え、仕事を変える。そして、1人になると食事もせずに酒浸り。
そんな母親でも、彼にはたった1人の愛する人、味方なのだ。だから、側を離れられないし、なんとか立ち直らせたい。
そんな母子関係にある日突然終止符が打たれる。
それは、けして裕福な町とは言えない彼らの住む町に、そして、彼の学校に「国立少年合唱団」なる物がやってきた日の出来事。
複雑な家庭環境で生活する彼のこれからを心配した校長が、何度も頼み込んで実現した物だった。
校長は、少年の持つ美しい「声」が何よりの彼の財産であり、その声が彼を今の生活から救い出す大いなる力になると信じていた。
合唱団の教師たちの前で、自己流の歌を披露した彼への反応は冷たいものだった。
彼らは、その名誉ある合唱団に入りたくて、様々な教育を受けている少年たちばかりにしか接点がない。自己流の歌で、ただ声が美しいというだけの少年を素直には受け入れられない。
そんな大人の事情など、少年には関係ない。
イライラとした足取りで帰路についた彼に母の最期が伝えられる。
母の埋葬の日に初めて父親と出会った少年。彼はいわゆる隠し子で、父親の妻子にはその存在すらひた隠しにされてきた。これまで12年、養育費だけは払ってきたと身勝手な理屈を述べる父親。
父親は渡りに船とばかり、少年を金の力で無理矢理合唱団の付属学校に押し込んでしまう。
そこから、少年の成長記録が始まる。
才能だけでなく、裕福な環境下で与えられて育ってきた他の少年たちの中に突然放り込まれ、戸惑い、苛立ち、立ちすくむ彼。
若く熱意ある青年教師が直接の指導教官として、彼の才能を見抜き、ダスティン・ホフマン演じる合唱団の指揮者が、少年を導いていく。
「神の声」を得た少年に才能を自覚させ、才能だけではダメなことを理解させ、その才能を持て余している彼の苦悩に道を開く。
歌う喜びを知った彼は、驚くほどの成長を見せ、団の中でもソロを任されるようになるだが…
元々ソロを任され、スターだった少年には彼の存在は疎ましい。そうなると、スター扱いされてきた人間は姑息な手に出る…っていうのは、いつの時代も王道です。
見るからに嫌なヤツそうなデヴォンという少年。「ハリーポッター」の悪役少年によく似てる。あははは(;゚∇゚)ステレオタイプってヤツかしら?
こういうパターンな人が登場してるので、お話的にはまぁありがちと言えばありがち。
でも、そんなストーリーもステットの「声」で彩られ、違う印象になっている。
クリスマス休暇はみな家に帰り、寄宿舎には誰もいなくなるが、父親に邪魔者扱いされているステットには帰るところもない。こっそり寄宿舎に残り、余り物を食べながら、課題に取り組む。
そんな彼のことを調べ、父親に決断を迫る指揮者。 少年の初舞台のチケットを届けるのだ。
少年の歌声は確かに父親に届いていく。
そして、さらに大きなニューヨークの舞台に立つ少年の素晴らしい歌声を聞き、父親は決意する。
歌は人の心にダイレクトに届くのだ。ボーイ・ソプラノは一握りの少年に与えられた輝く光。声変わりするまでの1〜2年、ほんの短い期間、「神の声」を与えられた少年。
まさにその時、少年はそれまで会ったことすら無く、邪魔者扱いをしていた父親の心を動かした。
彼の声に賭けた校長がいて、彼の声を伸ばした指揮者がいた。そして、彼は父に出会った。
少年に舞い降りた神の時間は消えてしまったけれど、その声が彼に新しい道を開いた。
素敵な映画だった。
まぁ、下世話な欲を言えば、ステットより先に敵役のデヴォンが声変わりすれば良かったのにと。
ステットが自分の声変わりに気づいた時、「おめでとう」というその性格の悪さ。誰か、歌を教えるより、性格の悪いヤツの歌う歌は心に響かないってことを先に教えてやれと。
あはははは(゚∇゚)
ステット役のギャレット君。物凄くイケメン。レオナルド・ディカプリオみたいな顔…トーク・ショーでのお茶目でキュートな姿にファンになってしまいました。
まぁ、次々と個性ある若手が登場し、素晴らしわ‼
劇場で素晴らしい歌声に酔いしれる素敵に時間にあえますよ。