ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞。既に60席のスクリーン2上映に移行。風景が素晴らしかったので、スクリーン1の大きなスクリーンで観ておけば良かったな…
主人公の少年のバックボーンについては特に説明は無い。それは話が進むうちに分かってくる。
少年は父親と2人で暮らしている。時折、父親は女性を連れ帰ってくるが、それが恋人なのか、行きずりなのか、少年には判断できない。
それでも、小さな家で父親と2人、必死に生きている。
話が進むうちに、少年は母親が出奔してからこの町に移り住み、学校に行ってないことが分かってくる。父親の稼ぎも僅かで、少年は生活のために仕事を探そうとしている。
以前住んでいた町では学校のクラブチームでフットボールをしていて、いつかまた戻れる日のためにランニングだけは欠かさない。そのランニングで行き着いた競馬場で馬の美しさに惹かれ、日雇いで厩舎の仕事にありつく。
子供の貧困。あからさまに生活の困窮を謳う訳ではないが、少年が自分の居場所を探しているのだけは伝わってくる。
地方競馬の厩務員の仕事は、早いうちに抜け出さいないといけないと当の雇い主から言われるが、少年にはその真意は伝わらない。それどころか、腹を立てて、売られそうになった馬を連れて飛び出していく。
その背景には、不倫騒ぎで撃たれた父親が死に、本当に彼の居場所が無くなってしまったことがある。年齢を偽り、偶然会った人に食事を世話してもらったりしながらの居場所探しの旅。その彼らもどちらかと言えば、問題を抱えている。
必死に生きようとすればするほど、足を捕られていく。そして、大切な友人だった馬のピートを喪う。
どこまで追い詰められていくのか。観てる側はただただ胸が締め付けられていく。どうか、彼に光を…そう祈らずにはいられない。
途中、どこかで苦しい胸のうちを吐露していれば。例えば、父親が亡くなった病院で、ピートが車に轢かれた現場で、大人たちは彼に手を差し伸べようとした。行く先は施設だったり、警察だったりするが、それでも、そこから先に向かう道は模索できた。少年はそんな術のあることを知らなかった。
囚われる恐怖が彼をその場から引き離した。そして、より過酷な日々に向かっていくことになってしまった。そこに行き着くまでに、生きるためとはいえ、罪を犯しているという意識があっての選択。
ラストで、疎遠になっていた叔母と再会する。ここにわずかに光明が見えた。
苦しい映画だった。子供には選択肢を見極めることが出来ない。それは経験が無いからだ。親でなくても良いから、大人が寄り添ってくれることで、経験を積み、成長できる。負のスパイラル…まさにそんな映画だった。