今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ぼくらの家路


なかなか観に行くチャンスが無くて、気づくと今週で上映終了らしく…


まず観終わって、朝からこんな辛くて重いのは勘弁してほしいって思った。


育児放棄を題材にしたドイツ映画。いずこにあっても、親と子の間では同じような問題が起きているのだと知る。


若く美しい母親に2人の息子。長男は小学校の中ぐらい?次男はまだママが恋しい学齢前の感じ。


友人達と公園で楽しんだ後、母親は子供たちだけ先に帰す。


母子の時間と大人の時間。次々と違う男が入り込んでくる彼らの家。


仕事と称して、子供たちを置いて、男とのデートを楽しむ母。


置いていかれた子供たちもお腹は空くし、生きていかねばならない。そんな状況で子供たちに何が出来るのか。


母の留守中にお風呂の熱湯で次男が火傷を負ったことで、この母子に転機が訪れる。


カウンセラーとの面談で母親は育児が出来ていないと判断され、母親の元から離れるには小さい次男はそのままで、長男だけは施設に預けられることになる。


他人から見れば、育児放棄だと思われる行動をとる母親も、彼女なりに子供たちは大切でいざ離れるとなると心が揺らぐ。


そこに長男はまだ母親への思いを募らせるのだ。


なんと罪作りな…


だけど、母親の行動を簡単に「無責任」という言葉で片付けることは出来ない。彼女は確かに子供たちを愛しているのだから。


ただ、それがどうしても彼女に必要な愛では無いというだけだ。


女としての人生と母親としての人生と、上手くバランスを取ることが出来ない人が、不幸にも2人の少年の母親になったということなんだろう。


きっと、この母親はこれからも同じことを繰り返すに違いない。こういう人なんだ。


それでも、子供たちがある程度独り立ちできる年齢だったら、まだ救いようもあるが、庇護する者がいなければ、今日にも路頭に迷い、命が脅かされるほどの弱い存在なのだ。


まわりの無関心や母親の育児不適合の中で、母親のかつての恋人に助けを求めるが、彼にだって、出来ることは限られる。


その辺が、まだ長男には理解出来ない。


そうした現実を受け止めるだけの余裕があるわけもない。


実際にはたったの3日だけれど、子供たちには長い長い時間だったに違いない放浪を経て、家に灯る明かりを見つける。


心配していたという母親の言葉を信じたい長男。だけど、3日の放浪を経て彼は母親の真実に気づき始めていた。母親と連絡をとるためにメモを入れるケースを確認すると彼が必死で綴ったメモはそのままそこにあった。


どれほどの絶望を彼は味わったのだろう。


もう母に捨てられたくない。今度は自分が母を捨てるのだ。


弟を連れ、あれほど嫌だった施設へ向かう彼の決然とした表情が胸をつく。


そうそう、「鍵が無い」と長男は度々口にする。玄関ドアの前の靴箱にある長靴が鍵の隠し場所。そこに鍵さえあれば、彼らは家に入ることが出来た。でも、母親はそこに鍵を残さなかった。


まさか、息子たちが戻ってくるとは思わなかったのかもしれないが、そこに鍵が無いことはすなわち、自分たちの存在が否定されたと受け止めたんじゃないだろうか。


人に言われなくても、母は自分たちを捨てたんだと気づいていたんじゃないだろうか。


それでも、なお母を待っていたんじゃないだろうか。


何も言葉が出ない。