今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

存在のない子供たち


内容はまさしく、中東版「誰も知らない」だったが、主人公の置かれた背景が違う。


「誰も知らない」は、その日暮らしの果てに子を産み、育てることを放棄した若い母親が都合の悪いものから目を背け続けた結果、年長の子供が弟妹を食わすために命懸けで生きようとする。ある意味、豊かな社会の暗部を浮き彫りにした内容だった。


でも、本作は違う。すでに生まれた時から、彼らは酷い差別の元に晒され、自分の周りもみな貧しく、その日を生きるのも必死で、彼らの親でさえ、仕事もなく、住むところも認められた場所がなく、薬や酒に侵された世界で生きている。


正直なところ、子供どころではない大人たちの生活。それなのに、町には子供が溢れている。昔、日本でも言われたよね、貧乏人の子沢山。まさにそれなんだけど、主人公の住む町は、単なる貧乏という言葉で済む状況じゃない。


そんな暮らしの中で、主人公はおよそ12歳くらいとされているが、世間に流される両親を恨みのこもった目で睨みつけるだけの気概がある。あの状況で育ちながら、両親のダメっぷりを見抜き、自分の考えを持っている。その賢さがまた胸を締め付ける。


自分と年が近い妹。彼女もまた兄に絶対の信頼を置いている。そんな妹が初潮を迎えた。以前知り合いの少女が初潮を迎えた途端、いい年の男の嫁に行かされた。その少女はわずかばかりの食料と引換えに人生の全てを実の親に売り払われた。


大切な妹が、自分の働く雑貨屋を営む男の嫁にとられては敵わない。少年は妹を必死に守ろうとする。そして、精一杯金を貯め、妹を別の町へ連れ出そうと計画する。


が、しかし、車の手配を済ませて帰ってみると綺羅びやかなドレスを着せられた妹が雑貨屋の男の隣に座っている。鶏を何羽かと交換することで話がついたらしい。あり得ないと思う少年。しかし、母親は言う。あの男に嫁に行けば、良い暮らしができると…


少年が学校に行きたいと言いだした時、母親は言った。近所の子供が学校に行きだしたら、いろいろな物を持ち帰るようになったと。だから、学校に行かせたら、きっと今までにない物を手に入れられると。学校に行かせることに父親が渋い顔をした時、母親は自分たちの生活が少しでも豊かになるのだと説得した。息子の将来のことなど考えたわけではなかった…妹の結婚も同じだ。


泣き喚いて結婚を嫌がる妹を父親が無理矢理バイクの後ろに乗せて走り出した時、少年は決意した。この親を捨てる。


少年はバスに乗り、知らない町に降り立つ。そこで出会ったスラム街の女の小屋に転がり込む。不法入国の女には小さな赤ん坊の預け先が無かった。少年は子守をしながら、粗末な食事と寝床を得る。


けれど、女は偽の身分証を作りに行った市場で逮捕されてしまう。少年はまた大人から見捨てられる。ヨチヨチ歩きで1人には出来ない赤ちゃんを少年は出来る限りの知恵を使って養っていくが、限界を迎える日がやってくる。


少年の目にはもう生気も無い。どうして良いか分からない自分に打ちのめされているとしか言いようが無い。彼は何も悪くないのに…


市場で身分証さえあれば、この先の見えない地獄のような国から出国できると聞いた少年は赤ちゃんを里子に出す金でその話に乗ることにするが、自宅に戻っても彼の身分証は無かった。出生証明書さえ無かったのだ。


自分はこの世にはいないはずの子供。。。そして、両親から妹の死を知らされる。年のいかない妹は結婚してすぐに妊娠し、そして死んだ。まるで死ぬために結婚したかのようだ。


少年はナイフを持ち、男の元へ向かう。全てに追い詰められた少年は、妹の亭主を刺す。


貧しい生活の中で、全てが思うようにいかず、困窮する大人たち。移民だからなのか、そういうスパイラルに陥ってしまったのか。自分が生きる糧を両親は子供たちに求める。自分が産んだ子供たちへの責任も果たさぬクセに、子供たちを何より愛してると言いながら、働かせ、物々交換のように子供たちを売り渡す。


少年が、刑務所の中からテレビ番組に自分の苦境を訴え、両親を裁判に訴えると話す。なぜ、自分を産んだのかと…


強烈な映画だった。確かに「誰も知らない」と似てる映画だったが、主人公を救い出す術がまるでなく、主人公のような子供はそこら中にいて、こうして、その苦境が司法の場に持ち込まれたのは、ほんの一握り、氷山の一角でしかないことを感じ取れる本作の方が後味も悪く、大きなショックを与えられる。


終映後、すぐに席を立つことが出来なかった。良いとか悪いとか、そんな言葉では伝えられない映画だった。