高村薫さんの新3部作、その第2弾をやっとこさ読み終わりました。
発刊後10年経ってるのに未だ文庫化されず、上巻475ページ、下巻396ページという圧倒的な分量を持つこの小説を読み切った達成感たるや、何をもっても太刀打ちできないほどだ。
以下、感想…
それなりに読書は好きだし、好きだと思う作家も何人かいる。かつてはもっと多かったし、それぞれの作家の本を片っ端から読んでいたが、ある時パタリと読む気が失せ、それきりになった作家が何人も…
その後、新作を読んでみようかと言う気にもならない作家には売れっ子が何人も(汗)こんな偏屈者の私が新作を待ち望んでる稀有な作家の1人が高村薫さんだ。
しかし、新作が出たところで、今や高値が当たり前の単行本にはなかなか手が出ない。しかも、高村薫さんの小説は長い‼
よほど心してかからないと図書館で借りて読むなど時間的に無理なのだ。
そんなワケで、文庫化を待ち望んだが、形にならない寡作の作家の新3部作に覚悟を決めて挑戦してみた。
元々、警視庁の刑事・合田雄一郎を語り部にした警察小説で世に出た感のある高村薫さんだが、合田雄一郎3部作以前にも面白い作品は多く、っていうか全部面白いんだけど、でも、難しい。
登場人物がみな一筋縄でいかない人ばかりで、しかも思念というか、心の深いところを語る人ばかりなので、かなりヘビーで疲れるのだ。
本作は後で知ったところでは、元々は新聞小説だそうだ。完結しないまま連載が打ち切りになり、裁判を経て、新潮から単行本として完結した形で世に出たのだそうだ。
青森で何代も続く名家を舞台に政界に進出した代々の当主やそれらを取り巻く人々を語る。
実は久しぶりに合田雄一郎が登場するということで、第3弾の「太陽を曳く馬」を先に手に取ったのだが、これが全く分からない世界で、結局上巻だけで断念してしまっていた。
もう何年もそのままで…
たまたまWOWOWで放送したドラマ「レディ・ジョーカー」を見て、なんとしても合田雄一郎を読もう。でも、3部作なら、最初から読もうと…
しかし、新3部作には合田雄一郎が端から登場するワケでもないので、そこまでたどり着けるかという心配もあった。しかし、読み終わって、その心配が杞憂であったことを自分自身で痛感している。
3部作通して中心的に登場するのは、おそらく福澤彰之。
1作目が実母・晴子からの膨大な100通にも及ぶ手紙を通して、彼が何をどう考えていたのかを知るお話。
そこでは、子供心に両親の間に微妙な空気を感じ取って12歳で家を出て、寺に出仕し、東大に入る優秀な頭脳を持ちながら、卒業後は一も二もなく外洋船に乗り込み、1年のうち多くの月日を海の上で過ごし、陸に上がったら、突然永平寺へ出家してしまう彰之。
30歳になった彰之の今と彰之を海に送り出すまでの母の来し方が交互に登場し、なんとも表現のしようがない圧倒的なパワーに押し切られる。
そんな前段を受けて、第2弾は彰之の実父である父親の兄・福澤榮が登場する。
彼はまさに「リア王」だ。
シェイクスピアが大好きでになり、一時期貪るように読んでいたのに、「面白かった」「凄かった」という感想以外すっかりどこかに吹き飛んでしまっていた私。
「リア王」ってどんな話だっけ?と検索してしまった。娘に裏切られ、無念の死をむかえる王。まさにだ。
本州の北端である青森で、40年も代議士として生きてきた福澤榮が国会会期中に行方をくらませる。
彼の私設秘書として22年の長きにわたり、彼の金庫番だった妹の娘婿が自死し、その後、結束して革新派と戦うべき県知事選挙で息子達に裏切られた彼は、それまで政務の忙しさに追われ、ついつい先延ばしにしてきたものや見ない振りをしてきたものに一通りの決着をつけるべく雪の青森にやってくる。
行き先は、全てを捨て、迷いを振り払うために出家したはずの息子・彰之の暮らすひなびた草庵だった。
そこで、彼は本当に愛した晴子との間になした息子を前に代議士としての彼の生きた道を語り聞かせていく。
外腹の子であり、産ませた女はいくら唯一惚れた女だとは言え、弟の嫁だ。許されぬ関係である以上、この父子が人前で大手を振って親子でございと歩けるワケもなく、心を通わせるなど1番に遠い存在のようでもあるが、雪に閉ざされた草庵で向かい合う2人はこの時間が2度と来ないことを十分に知っており、だからこそ記憶の奥底を拾い出し、精一杯語るのだ。
もう、全てに圧倒される。
榮も彰之も恐ろしく記憶力が良いのだ。これは確かに常人では有り得ず、それは小説だからと思ってもみるが、それでも2人のやり取りは互いに隠すことも無く、隠す必要も無い素の語りと感じる。
ただひたすら表を見続け、代議士として生きてきた榮が真に信頼を置けたのは後にも先にも彰之しかいなかったのだ。
そして、彼自身はそれを十分に分かっていなかったのだろう。ところが、彼のまわりはみな気づいていた。
物理的に離れており、互いのやり取りもままならない関係の彰之への思いに彼の妻や子は早くから気づいており、それが家族の裏切りを呼んだのだ。
子供じみた嫉妬が父を裏切り貶めることへの呵責を和らげ、その執着を権力の側に利用されてしまった妻や息子。
誰もが哀れと言えば哀れ。
そうした家族の宿命を知ってか知らずか、子供の頃から距離を置いて生きてきた彰之こそが、結局は父を今ある姿のまま受け入れ、自分の姿も正直に見せているのだ。
ただのサラリーマン家庭に育った私には分からない地方の王たる名家の有り様。
読み終わってもしばらくはただただ圧倒されたという思いしか浮かばない。
おそらく、これが文庫化する暁には高村薫さんの代名詞たる大幅な改稿が加えられているものと思われる。その時も読まなければ‼
途中、仏家たる彰之の心や思いに関する発言は信仰上の考えや仏法用語が用いられるので、かなり観念的で難しい。
それに比して、長らく代議士として生きてきた榮の話は、狸が蔓延る永田町の論理を垣間見せるもので、かなり面白いのだ。
榮の独白部分は、ページが飛ぶかのように読み進めることが出来る。
だから、圧倒的な分量を誇る本作も一言で表現するなら、圧倒的に「面白い」小説なのだ。
読み終わった時、やりきった感満載で、しばらく本は読まなくても良いなと感じるほどの大作だ。内容も分量も。でも、オススメ‼