今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

裸足の季節


試写にて鑑賞。あんまりどころかほとんど事前情報無しに会場へ。


美人五姉妹の物語で、タイトルが「裸足の季節」…想像力たくましい私は、普通に見られる映画なのかと心配してしまいました(;^_^A


そんなアホな心配も吹き飛ぶような快作でありました‼


舞台はトルコの田舎町。10年前に両親を亡くした五姉妹は祖母の元で育てられる。因習深い土地で、娘達には窮屈な日常がこの町では普通のこととしてまかり通る。


学校帰りに浜辺で男子学生と水遊びをしたのが近所の人の目に留まり、早速祖母にご注進があった。


その日を境にそれまで自由に育ててくれた祖母の態度が変わる。


学校に行くことも許されず、ほぼ監禁状態だ。人目に触れる時は茶色の地味な服に着替えをさせられ、家では良き妻になるための花嫁修業が日々課せられる。


13歳の末娘の目線で語られる彼女達の窮屈な日常。窓の下にやってきた同級生からもう学校に来ないのかと問われても答えようがない。


でも、同じ年頃の同級生は相変わらず学校に通ってるワケで、なぜ彼女達だけが?と思ってしまう。


海辺で男子学生と遊んだ後、年長の娘達は婦人科で診察を受ける。カルチャーショックというか、なんというか、彼女達は処女検査を受けたのだ。


その後、彼女達には見合いが待っていた。当時交際相手のいた長女はなんとか見合いをやり過ごすが、相手の男から求婚させろと祖母に迫られる。


長女の代わりに見合いをした次女は、突然やってきた見合い相手とその場で結婚が決まる。


結婚は両者が見合いし、その場で男側の親から女側の親に求婚し、「2人とも喜んでいる(!?)」という理由で指輪の交換が行われる。本人の意思など全く無い。


その後の婚礼もあれこれしきたりだか習わしだかに振り回される。そして、初夜。ことが済んで出血しないと家族総出で病院へ出向き、その理由を診察させるのだ。


これって、その土地の風習としてやり過ごして良いのか?


多分、そうじゃない。診察した医師が半ば呆れ気味に対応してたのを見るとやはり古い習わしに囚われた町なのだと感じる。


年長の2人が嫁ぎ、次は三女だ。彼女にも見合いの準備が着々と進んでいく。しかし、年長の2人ほど従順ではない。


なぜだろう。それはあのシーンが関係あるのだろうか。


私もぼんやり観ていたつもりはないが、次女が嫁ぐまでそんなシーンは無かった。見逃したかな。


夜、皆が寝静まった家で、一緒に住む叔父が三女の部屋から出ていく…


いろんなこと深読みしちゃった(~_~;)ここについては、四女にも似たシーンが挿入され、その後の四女の様子からある程度のことは想像できる、でも、映画の中ではそれについて語ることもない。


三女は自分の番が近づくにつれ、表面上装っていた平静さを失っていく。そして、突然それまでなんとか保っていた緊張の糸を切る。


自分の意思など反映されないこの町での暮らし。自ら命を絶ってこの町を、忌まわしいしがらみを抜け出した三女。


三女の悲劇的選択を目の当たりにして、利発で逞しい末娘は、自らの足でこの町を逃げ出すための準備を始める。


三女が旅立って間もなく、四女の婚礼が決まる。三女の命を懸けた叫びにも耳を貸さない大人たち。


投げやりになっていた四女を説得し、末娘は自分たちの足で外へ踏み出す。


女性が未だ窮屈な暮らしを求められる場所があること。それに馴染んで良しとする女性たちもいること。ただ、この映画はそれを是とも非とも結論を出すことは無い。観る側に判断を委ねているようだ。


もっと強いポイントが置かれているのは、少女たちが大人たちの思惑を飛び越えて、自らの人生を選びとる道に踏み出す力を持っていること。


無謀な逃亡劇で、将来的に辛い現実が待ち構えているかもしれない。むしろ、そちらこそ必然に思うけれど、少女たちの輝きに拍手を送りたくなる。


けして、ハッピーエンドではないし、全てが解決してるわけでもない。でも、なんだか不思議な高揚感が残るのはなぜだろう。


最後に1つだけ。なぜこの邦題?


少女たちが自由を奪われ、着るものさえお仕着せの物になった頃、靴下を履くことも強要されるようになる。そこなのかな?裸足で過ごせた時代…という意味から来てるのかな。