今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

LBJ ケネディの意志を継いだ男

試写にて鑑賞。

ケネディ関係の映画は最近コンスタントに公開されてる。まぁ1年に1本くらいだけど、それでも、こうして映画のテーマになってくるというのは、いかにケネディアメリカという国や人々に影響を与えたかがうかがい知れる。

尺が97分という今時珍しいちゃんとした(汗)映画だ。だいたい人間の集中力なんて、余程の天才でないかぎり、2時間超え作品をしっかり見届けるほど続きやしないと思ってる。

舞台となったケネディの時代の映像も差し込みながら、この尺でまとめてるのは凄いと思った。

それは多分ジョンソン大統領の全ての仕事をカバーしたワケじゃないから可能になったのだと思う。

ケネディが大統領になり、考え方も政策も全く違う政界の有力者、ジョンソンの処遇がケネディ陣営の大きな問題となる。

ところが、ケネディ本人は政敵を懐に抱えることを選択する。敵を敵として遠ざけることで生じる軋轢より、自分のブレーンとして側に置くことで、彼の動きをチェックできると考えたようだ。

頭が良く、「人」を知らないと選べない作戦。自分の懐に抱えて食い破られる事だってあるかもしれないのに。

その辺の英断にジョンソンも副大統領として真摯に応えている。一時の感情で保身に走る人には出来ないこと。

ある意味、2人の間ではきちんと成立していた関係なんだろう。

それは、ケネディが凶弾に倒れた後にはっきりする。国民に慕われた大統領の死をただ悼むだけでなく、彼のやり残した仕事を完遂するために遺族には恨まれながらも、次々と政策を断行する。

これは、それまでのジョンソン副大統領が培ってきた議員としてのキャリアが物を言ったんだろう。

私は、ジョンソン大統領と言えば、ベトナム戦争を泥沼化させてしまった人という認識しかなかった。しかし、彼が突然大統領に就任し、自ら望む形ではなく、夢を叶えた結果、様々なしがらみにがんじがらめになっていった結果なのだろうなぁと。

様々な政策遂行中に正式に大統領選に打って出て、その任期満了後、大統領選に出馬しなかったということをとっても…再選を選択しなかった大統領はジョンソン大統領だけらしい。

ある意味、大統領就任までの物語であって、彼の全てではないことで、中途半端に感じる人もいるのではないかと思う。私は、歴史の流れなど知らないから、ジョンソン大統領の新たな一面を知るくらいにしか思わないけれど。

ケネディ兄弟のジョンソンに対する姿勢の違いも知れて面白い。その対比を観ても、ケネディって、特に自身で為した実績は無いけれど、稀代の人物だったのだなと。