今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

運命は踊る

新聞の映画評でも高評価で、ヒューマントラストシネマで上映するということで、これは期待できると劇場へ。

基本的にヒュートラ・シネマの上映作品は、まず間違いないと思うのね。私は基本的に邦画が好きじゃない(苦手な俳優がいっぱいいるので、作品よりそっちのダメっぷりで楽しめないのだ…汗)ので、こちらのスクリーンでかかる邦画は観ないけど、洋画は良い物が多いと思うのね。

ということで、本作、良かったです。

感動とかそういう良さでなく、タイトルの持つ意味がジワジワ来るのが、良かった。

原題は、ダンスの基本的なステップを表す言葉だそうだ。そのステップは、ラストで主人公であるお父さんがお母さんにそれを教えるシーンに登場する。

前、前、右。後ろ、後ろ、左。

こうして、ステップを踏むと最初の場所に戻ってしまう。これこそ、まさに人生だとでも言うのか?

今いる場所から少しでもステップ・アップしたいと足掻いても、気づくと元の場所に戻っている…そんな人生の難しさでも表現してるのだろうか。

物語は、息子を戦地に送っている夫婦の家から始まる。訪ねてきたのは軍服に身を包んだ男たち。息子の戦死を伝えるためにやってきた。

この息子の死の知らせを受けた家族の苦悩を描いた後、場面は当の息子が着任した場所に移る。長く続く一本道。車など滅多に通ることも無い検問所に自分の他に3人の仲間と監視の任務に就いている。

戦地と言えば、銃弾が飛び交う場面を想像するが、彼らの任地はまるで戦闘など無縁な辺境の地だ。その重さで地面に沈みかけているコンテナの中で暮らし、通行する車があれば、人物照会をする。戦地とかけ離れた場所にある検問所には、兵士が真剣に向き合うべき人間などやって来ない。普通の人ばかり。それでも、兵士は武器を持ち、臨戦態勢を保つ。兵士が向き合うにはあまりにも日常的な通行人たち。。。

それなのに、不幸は起きる。

着飾って出かける中年の夫婦は家に帰る途中の検問所で照会に時間がかかり、土砂降りの中、車外に出される。これが、戦地の所以。

次に通りかかった若者のグループは、男女2組。同じ世代の兵士を挑発するように文句をつける。兵士の1人は落とした身分証明書を拾おうとして、助手席の女性のスカートがドアに挟まっているのを見つける。

ドアを開け、スカートを戻した時、車からカランコロンと音を立てて落ちた物が…

一瞬の事だった。そう、ここは戦地にある検問所なのだ。何があっても、おかしくないのだ。

その後の処理もここは戦地だとあらためて思わせる恐怖。

もしかしたら、その後に訪れる不幸は、息子の為した行為への報復、いや懲罰かと思わせるほど。

運命は踊るというより、因果は巡ると言うべきか。

第三の場面は、また息子の実家だが、今度は少し時間が経っている。前場面で、任務を解かれ、軍の車に乗った息子のその後が語られる。

話が進むうち、息子の今が分かってくるが、そんな場面あったかなぁと何度も思い返す。最初の導入部の淡々と進むテンポで少し寝落ちしそうになった私は、不覚にもその大事な場面を見逃したのか?

いや、そうではなかった。

最後の最後であきらかになる。息子の戦死の報に翻弄され、嘆き悲しんだ父親が最愛の息子を守るため、一刻も早い帰宅を無理矢理押し通した結果が…

なんとも言えず、理不尽でやるせない。でも、息子の書いた絵を最大の誤解をもって解釈した夫婦が再び立ち上がろうとするラストにはわずかに希望も見える。