今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

メアリーの総て


試写にて鑑賞。久しぶりに外苑前のギャガの試写室でした。面白いところにあるこじんまりとした試写室。ハイバックのシートは良しとして、スクリーンがかなり上にある割に、ハイバックのシートがかなり直立タイプなので、2時間の映画を観終わるとさすがに首が痛い(汗)


主演はエル・ファニング。今やお姉ちゃんのダコタより仕事量は多いし、話題作にも出てる。


あんまり、事前情報を入れてなくて、正直分からない部分もあった。


というのも、エル演じる主人公は小説「フランケンシュタイン」を書いた実在の女性で、映画は彼女が親の反対を押し切り、愛する男と出奔し、「フランケンシュタイン」を書き上げるまでの2年間を描いてるのだが、まず、この「フランケンシュタイン」がどんな小説か知らない!


フランケンシュタインは知ってるけど、フランケンシュタインの小説は知らない。フランケンと言ったら、「怪物くん!」(笑)


小説の内容は、既にみんな知ってるという形で話が進むので、なぜ10代の女の子にこんな小説は書けないと思われたのかについて、特に説明が無い。


フランケンシュタイン」という小説は、どうも孤独が強すぎて怪物になるという話らしい。。。とは分かるんだけど、なぜ驚かせたのかまでは…


主人公が生きた当時は女性蔑視は当たり前で、どんなに才能があろうと理解もされない。世に抗おうとすると世間からのしっぺ返しがある。それを覚悟の上で、妻と子のいる男と出奔した主人公。


金が回ってるうちは、男も彼女を大切にしたが、それはただ1人の女性としてではなく、互いに楽しければ良いという短絡的なものだった。


そうした、男が惑わす現実に振り回され、主人公は自分の感情の持って行き場が無くなってしまう。作家の父親の才能を受け継いだ主人公は、自らの孤独に追い詰められた苦悩を言葉にして、ノートに書き付けていく。


それが小説「フランケンシュタイン」に集約されていく。


なぜ、10代の女性がこんな人間の懊悩を題材にした問題作を書き上げることが出来たのか、その答えは彼女自身の来し方にあったというお話。


こういう精神的に追い詰められる役って、線が細くどこか儚げなエル・ファニングにぴったり。追い詰められ、追い詰められ、次第に強くなっていく主人公だけど、これも彼女の強い光を放つ目がまたぴったり。


最初の頃は、空や森の様子など美しい風景が差し挟まれるが、主人公が段々と孤独と苦悩に絡め取られるようになり始めると、どんよりとした仄暗い街の様子が主となって、主人公の今の心の有り様が表現されてるかのようだ。


ストーリーがちょっと難しくて、重い雰囲気だけど、音楽は良いし、衣装も良い。「フランケンシュタイン」をちゃんと読んだことのある人は、きっと楽しめると思う。