今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

お家で映画を楽しもう!


そろそろ春を迎える季節。季節の変わり目は寒暖の差があって、なかなか体調維持が難しい。さらに、今年は初夏の陽気かと思うと真冬に逆戻りしたり、1日のうちで温度が10℃以上変化したりと1度体調を崩すと持ち直すのが大変。


しかも、ここ数年、花粉症も治ることがあるのかしらと思うほど症状が出なかったのに、今年はもう目は痒い、くしゃみは止まらない…こんな時は家に居るに限る!


観たい映画も次々公開されてるんだけど、帰宅後の花粉症の苦しさを考えるとどうにも足が重い…おとなしく、家で映画を見ることにする。。。


ながら視聴するなら、やっぱり邦画だ。ってことで、次の3本を。


「8年越しの花嫁 奇跡の実話」

佐藤健と土屋太鳳による実話の映画化。これは、ホントに奇跡の実話としか言いようがない。病に倒れた女性もよく目を覚ましたし、それを8年もの間、諦めず信じ続けた男性も凄い。

でも、目覚めてからの方が涙を誘う。大好きで結婚間近だったという目の前の男のことを思い出せない女性の苦悩と8年も待ち続けたこの時に自分のことだけ思い出すことができない彼女の現実を突きつけられる男の絶望。

その絶望感は想像するに余りある。それでも、男は彼女のせいにしない。むしろ、彼女の苦悩を解き放す道を選ぶ。佐藤健だから、カッコいい訳じゃなく、こんな人いるんだなぁと驚かされる。

1つ気になったのは映画を通して、男の方の家族が登場しないこと。会社の同僚はたくさん出てきたのに。あれ?どこかでもうご家族がいない設定とか言ってたかなぁ。ちゃんと見てたつもりなんだけど…やはり、家族だからこその反対もあったろうし、映画では描けないこともあるよなぁと「余命1ヶ月の花嫁」の後日譚を思い出してしまう…

モデルとなったご夫妻は今も元気に幸せに暮らしてるようでなによりだ。



悪と仮面のルール

全然知らなかったんだけど、本作は去年公開の映画なの?日本映画でDVDスルーって無いよね?ってことは、私が全くノーマークだったと…

主演は玉木宏。今をときめく吉沢亮も出演。

一族に「邪(じゃ)」を生み、いつか日本という国を地獄の底に突き落とそうと考える名家のおじさんが怪しく登場するオープニング。彼は自分の幼い息子にその使命を与えるつもりらしい。

もう最初っから理解できないんだけど(汗)。直木賞作家の人の原作を映画化。

邪悪な心に覆い尽くされそうな自分とそれを喜ぶ父親。息子の中の「邪」を導く出すためにわざわざ孤児の娘を家に迎え入れ、その娘をいたぶることで彼の「邪」を解き放とうとする父親が意味不明。

彼女のためなら、殺人も厭わないと言っておきながら、自分と同じ邪悪な心に捕らわれた青年には現実に戻ってくるように諭す。最後は、ずっと守ってきた女性にこれまでの思いを伝えて終わり。

整形をして、顔を変え、誰も自分を知らない…だからこそって、何?って感じの話。小説なら成立する世界のように思うけど、映像で見せてしまう映画やドラマでは、設定が現代の日本のままでは無理な気がする。

吉沢亮くんは出てたけど、私には無理な映画。。。(汗)



忍びの国

まず書籍の「のぼうの城」が大ヒットして図書館で手にしたのは、かなり経ってからだった。確かに面白かった。だから、次に手にした「忍びの国」はおおいに期待して読み始めたんだけど、全然面白くなかった記憶しかない…(汗)

のぼうの城」も映画になったら、登場人物たちの一部に自分の描いてたイメージとかけ離れてるキャストがいて、複雑な思いだった。

本作はつまらなかった記憶しかない原作を飛び越え、映画的に成功してるのか気になるところ。

要は、「忍び」と名乗る人々は自分さえ良ければ何の問題も無く、人の生き死には二の次で、死なないようにするには強く賢くなるしかなく、それは女や子供だからと容赦されることもない…というルールを織田の小倅と伊賀の闘いを通して描いてる。

そして、その末裔は現代社会にも確かにいる…という利己主義の現代人への総括で仕上げている。

そうか、あの自分勝手なクラスメートには「忍び」のDNAが流れてたのねぇ…などと思うヤツはいないと思うけど(笑)






こんな感じです!やっぱり、映画は映画館で観るもので、家で見るにはそれなりの環境を整えないとダメだなぁと。Netflixを代表とするネット配信の台頭で今後も映画館離れは進んでいくことだろうが、例えば、「忍びの国」の合戦風景はテレビやパソコンサイズでは、その臨場感は味わえない。


「8年越し…」のような人間ドラマやサスペンス、社会派系なら、そのサイズでも堪能できるとは思うが…


今後はより立て分けられていくのだろうなぁ。でも、邦画について言わせてもらうなら、テレビドラマで十分な物が映画として成立してるのはどうして?テレビ離れの結果なの?