今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

帰ってきたムッソリーニ


イタリアの映画なので、九段下のイタリア文化会館のホールで試写。キレイで素敵なホール。


さて、「帰ってきたヒトラー」という映画が以前あった。原作本もあり、注目された作品だった。本作については、邦題が似てるなぁ(そのまんまと言っても過言ではない…汗)とは思ってたけど、特に事前情報を仕入れてなかったので、本編始まるやいなや、既視感ありまくりで、「おい、おい!」と突っ込みたくなった。


それもそのはず、「帰ってきたヒトラー」のイタリア版リメイクなのだそうだ。外国映画の日本版リメイクというならまだしも、ドイツ映画のイタリア版リメイクをわざわざ日本で公開する意味あるのかなぁと思わないでもないのだが…(汗)。


ある日の昼下がり、売れない映画監督が、公園で子供たちが登場するドキュメンタリー(ほぼやらせ…汗)を撮影中、突然大きな音が!


その音の主は、よく戦争映画で見かける軍服に身を包んだ男。彼は自分をムッソリーニだと言い、町を徘徊する。そして、ニューススタンドで新聞の日付を見て卒倒。このニューススタンドで新聞を読み漁り、自分が今どこにいるのか、自分のいた時代がその後どうなったのかを知る。


この辺までは全く「ヒトラー」と同じ。その後も、ほぼ同じ進行。チラシに笑える映画のように紹介してたけど、それは違うなぁ。「ヒトラー」の時も思ったけど、妙なカリスマ性を発揮し始めたムッソリーニはその弁舌で人々を惹きつけていくのだぞ!


町行く人々の今の不満や不安をインタビューするが、皆同じことばかり。移民問題と政府への不満。そうした人々の不満が行くつく先に弁の立つ堂々とした男が立っている。しかも、彼は改革の狼煙をあげる。実が伴うかどうかも分からない。それでも、人々は不満を一掃したいがために彼に心酔していく。


怖い図式だ。今のヨーロッパの世情や人々の不平、不満は戦前に似ていると聞く。一気にファシズムが台頭してくる頃と…


そういう意味で「怖い」のだ。最初にムッソリーニを世に出そうとした売れない映画監督が、その恐ろしさに気づいた時、ムッソリーニはすっかり時代の寵児で、彼を利用して成り上がろうとする者さえ現れる。


この結びもオリジナルと同じ感触。ただ、「ヒトラー」は恐ろしい物として帰結してた記憶があるけど、イタリアはブラック・ユーモアの域で捉えてるのかなぁ。お国柄というか、民族性というか、その違いが微妙な色合いの違いになってるのかな。


まぁ、とにかく「恐ろしい」映画でした。