今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

永遠に僕のもの


実話ベース。本国アルゼンチンで空前の大ヒットとか…なかなかスケジュールが合わず、やっと観に行けた。


殺人や窃盗をいとも簡単に、表情1つ変えずにやってのける主人公は、ベビーフェイスの、少年と言っても通じるくらいの男。その顔と事件の凶悪性とが繋がらない。だからこそ、観る人は、そこに理由を求めたのではないかと思う。しかし、理由なんて何も無い。彼はそういう男なのだと分かるだけ。


オープニングからちょっと戸惑ってしまう。なにしろ、主人公はぷらぷらも歩いている途中で足を止め、ひょいと大きな家の庭に入り込むのだ。まるで自分の家に帰ってきたみたいに…そして、誰もいないのが分かるとそっと忍び込み、家の中を物色し始める。盗みに入るという緊張感もまるで感じられない。食べ物をつまみ、喉を潤し、好きな音楽をかけ、リズムに合わせて踊る。。。


庭先に停めてあったバイクに気づき、帰りの足にする。家では、友達から借りたと普通に嘘をつく。


犯罪を犯してるにもかかわらず、時間がのんびりと流れていく。ふと寝落ちすらした瞬間もあったほど。それほど、緊張感無く、テンポも無く、犯罪が重ねられていく…


なんなのか。犯罪映画はもっとテンポがあるものだと思っていたが…これは舞台となるアルゼンチンのお国柄か、時間の流れが違うのかとも思ったが、そうではないだろう。


これは実話。多分、この主人公はこうして、気分の昂ぶりも無く、物を盗み、人の命を奪ってきたのだろう。そこにあったから、それが欲しかったからという理由にならない理由で。


途中、そんな息子を持った母の苦悩を感じられるシーンもあるが、単に子育ての問題だけではないだろうと…


猟奇的な事件が発生し、その得体の知れない犯人の根幹に迫る時、育ってきた環境を原因とする意見をよく耳にする。確かに環境が人を作るということには一理あるが、それが全てではない。元々の素養が犯罪傾向にある人間だっているはずだ。善悪の判断が出来ない。見てくれは普通で、むしろソフトだったりすると人はすっかりその外見に翻弄され、事が起きて、まさかと思う。


まさに本作の主人公がそういう青年だった。背筋がヒヤリとする。自分の側にもこんな普通の顔をした殺人鬼がいたら…と。


全編通じて、町や服装の色合い、音楽、どれも気が利いてる。その舞台で起こる事件の数々が異様なだけに余計に余韻を残す。


ラストで主人公が忍び込んだ家を取り囲む捜査員たちをパトカーの中から見つめる主人公の母親の表情が映る。あれはどんな感情なんだろう。同じ子を持つ母親として、なんともやるせない気持ちになる。