今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

プライベート・ウォー


凄い映画だった。そして、主人公、マリー・コルヴィンは凄い人だった。さらに、主人公を演じたロザムンド・パイク。熱演というか、主人公が憑依してるかのごとく神がかった演技だった。元々は、ロザムンド・パイクってあまり好きな女優さんではなかったが、こんな芝居を見せられたら、黙るしかない。


主人公は戦場ジャーナリスト。女性ならでは視点なのだろう。戦う最前線より、人の目に触れることが少ない戦いの影で苦しむ人々に目を向ける。


彼女は個人の正義感を振りかざし、がむしゃらに最前線に突き進むわけではない。危険の範囲をしっかり認識した上で、戦場の現実を伝えるのだと自ら語る。名を挙げるための報道ではない。「現実」と「真実」とを自分の安全を認識しながら、取材するのだという。


苦しむ人がいるから、泣く人がいるから、そのワケを聞く。そして、それを伝える。単なる正義感だけで動けるものではない。世の、戦場の、現実に彼女は怒っているのだとヒシヒシと感じるのだ。


自分たちの苦しい現状を広く知らせたい人々は、彼女に訴える。聞く耳を持つ彼女は彼らと行動を共にして、本当の思いを聞き出そうとする。当然ながら、危険の真っ只中へ突き進むことになるが、それでも彼女は無謀な賭けに出ているわけではないことも伝わってくる。


だって、取材中に家族の死を嘆く女性たちを見て一筋の涙を流すのだ。取材中に命を落とした戦場を共にしたカメラマンを見て、また一筋の涙を流すのだ。


最前線となる場所に身を置くことで、彼女は片目を失い、海賊のようなアイパッチをトレードマークに取材を続ける。


どうした精神力の持ち主なのかと圧倒されるが、実は、戦場を離れ、職場に戻ってくると彼女の日常は突然歪み始める。毎夜、悪夢にうなされ、酒とタバコを手放すことができない。親しい友人からは戦場で経験した過酷な日々が彼女を押し潰そうとしている事実を指摘される。そして、PTSDの治療も受ける。


今では誰もが知るシリア内戦の現実も彼女が砲撃の音が止まない現場からインターネットでリポートしたことで明らかにされた。最前線とは言え、中継のために最善を尽くす。自分たちの居場所が知られないように安全な回路を探して中継する。最後まで全力を尽くす。


ただ、それが全て上手く行くわけではない。これまでも、共に取材に出た仲間が死んでいる。彼女もその1人なのだ。特別はあり得ない。みな、最善を尽くし、安全への警戒を怠らず、現場の声を発信する。


確かに誰もなし得なかったことをやり遂げた彼女を英雄視することがあるかもしれないが、英雄としてではなく、1人の「現実」に苦しむ女性の生き方として、重く深く胸に刺さる。