今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ザ・ピーナツバター・ファルコン


素晴らしい映画だった。ただ感動させるのではなく、いつまでも、いつまでも余韻に浸れる映画だった。なんでこれがヒュートラ渋谷でしか観られないのか(あくまでも私の活動範囲で考えた場合)…


「ありがとう、テアトルシネマ。ありがとうヒューマントラストシネマ渋谷」って感じだわ。


アカデミー賞が終わった直後で、今回は歴史を変えたとかなんとかバカ騒ぎが過ぎるとしか思えないシネコンのスケジュールの擦り寄りぶりの一方で、こういう映画の上映機会が少ないって、日本映画の先行き心配するより公開システムの現状を憂いた方が良くないかい?って思います。。。


まぁ好き嫌いもあるし、好みの傾向もあるのかもしれないけど、アカデミー賞って、作品賞に関しては普遍性のある映画が獲るべきじゃないかと思ってるんだよなぁ。


個人の演技賞はそれぞれが評価されるべきで、技術部門も同じ。その作品だからこそ評価されるっていうより、俳優なら表現の素晴らしさ、技術部門ならその進歩と技術力、それぞれに見合った評価で決めれば良いが、作品賞は違うと思うんだよなぁ。


ヒットして、一時の面白さや勢いで獲っても、その映画の内容が語り継がれることはないと思うのだけど……今回の「パラサイト」、確かに面白い映画だった。更にその受賞については、それは凄いことだとは思う。だけど、この映画、数年経ってもその内容を覚えてるかなぁと。残念ながら、私自身についてはそれは無いなぁと思ってる。


心の底の方をグッと掴むような映画じゃないとなかなか忘れられない映画にはならない。本作はまさに忘れられない映画に成り得る作品だと思う。


それは主演がダウン症のザックだからというだけじゃない。彼の夢に突き進む強い思いにギュッと掴まれちゃって、ザックを支える旅の友や施設のお姉ちゃんが少しずつ歩み寄っていく過程に感動するのだ。


ラストのザックの爽やかな笑顔がこの映画の全てを物語っている。ウスノロとバカにして、誰も彼の可能性を信じない。誰も彼を対等に見なさない。子供たちまでザックをバカにする。そんな身近な世の中の理不尽に対抗する術を持たないザックが、窓の外の世界、テレビに映る世界に思いを馳せるのは理解できる。


世間で弱い立場にある人達は、ザックの思いを理解する。施設に暮らすおじいちゃんやおばあちゃんはザックの味方。それは、ザックが障害者だから歩み寄るわけじゃないというのが良い。ある意味、おじいちゃんやおばあちゃんこそがザックに夢を託してるのだ。


パンツ一丁で飛び出して生きていけるほど世の中甘くない。そう、この物語はファンタジーなのだ。あんなに都合よく助け人が現れるわけもない。それでも、この物語をしっかり受け入れてしまうのは、この映画の力なんだろう。ザックの人間の魅力だ。


ザックはダウン症ゆえ、演じる役も限られるが、映画に出たいという夢を追い続け、見事に夢を果たしたスクリーン上で役者として見せる人生に迷う表情がとても良い。


今、思い出しても胸が熱くなる。アカデミー賞で共演のシァイア・ラブーフと共にプレゼンターとして壇上に立ったザック。一言のセリフでさえ何度も何度も練習して舞台に立ったことが十分伺える彼の姿。広く開くべきはこちらの門ではないかと感じたシーンだ。