今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

Fukushima50/フクシマフィフティ


角川書店による試写会に参加。Tジョイ品川Princeにて鑑賞。この劇場で映画を観たのはまだ2回目。スクリーンのサイズはちょっと小さいけれど、椅子や通路に関しては最高だ!各列段差があり、全く前席が気にならない。さらに前席との間が広い。足を伸ばして鑑賞できる。こんなシネコンは滅多にお目にかかれないと思う。


そんな劇場でゆったりと鑑賞。


原作もあるので、是非読んでもらいたい。現場の苦労を実感できない東電の本社の御偉いさんにも腹は立つが、それ以上に腹が立つのは菅直人(怒)。


国としての責任を果たす上で、時の総理大臣は日本のリーダーだ。その素養が無かったとしても、何かの間違いでその立場に就いてしまったとしても、それでも、リーダーとして決断し、その決断の責任をとらなければならないはずだ。菅直人福島第一原発を始めとする東日本大震災の対応に関して、国民に頭を下げたことはあっただろうか。震災後しばらく経って、自分たちの対応に間違いは無かったと言い訳ばかり並べていた記憶しかない。当時の官房長官だった枝野も同じ穴の狢。本当に腹立たしい。


原作本にもその呆れた総理ぶりは描写されていたが、映画になる時、果たしてちゃんとその点が描かれるのか心配だった。


佐野史郎さん演じる「総理」は自分の思い通りにならないと瞬間湯沸し器のように吠えまくる。そして、かつて経験したことの無い未曾有の原発事故に際して、混乱する現場をようやく立て直し、復旧の段取りを進めようとした矢先の福島第一原発にヘリで乗り付ける。


原作によると菅直人が現場にきた理由は納得いく説明が聞けないからと。しかも東工大卒業の自分には少なからず知識があると思っていたらしい。そんな理由のために命懸けの戦いをしている最前線に警備をゾロゾロ連れて乗り込んでくる。


誰もが「お前、バカか?」って思っただろう。総理が動くということはどういうことなのか。大勢の警備が付き、現場の動きはストップする。今、そんなことまでして、総理が現場に行く必要があるのか。本来なら止めるべき官邸や官房長官は総理の被爆の方を心配していただけだ。言い出したら聞かない総理だからと行かせてしまう。そうじゃないだろう。総理が行くことで、ようやく始まった復旧作業が中断してしまう。そのことがどれほど大きな問題なのか。確かに現場と官邸を繋ぐ東電のパイプ役も機能してなかったが、あまりにお粗末な国のリーダー(涙)。総理対応のために失われた時間はその後もっと大きくなって跳ね返ってくる。


後になって、かなり早い段階で被害は進んでいたらしいことが判明し、首相の来訪がそれほど影響を与えたとは言えないとされたが、それはあくまで結果論であって、首相の来訪が当時その時に必死に戦っていた現場の人たちの士気を大いに落としたことは間違いない。


映画を観た人たちにはちゃんとその点が伝わるように描かれていたのは本当に良かった。


暗く窓の無い原発建屋近くの管理棟での作業が中心だった初期の段階。どれほど恐怖を感じただろうか。外が見えず、電話でのやり取りで自分たちの置かれた状況を把握していく。原発の現場で作業するからこそ、その怖さを誰よりも知っている彼ら。それでも、出来ることを必死で積み重ねていった状況を知り、本当に頭が下がる。


こうした彼らの戦いをいち早く世界に伝えたのは海外メディアだったという皮肉。


事の重大さを知らず作業を続けたわけではない。十分に理解した上で、それでも、現場に踏みとどまった人たちがいる。


使命感と言ってしまえばそれまでだが、あの時にそうして戦える人たちの故郷を愛する気持ちや自分たちで整備してきた原発への責任はなんと深く強いものか。


福島第一原発へ消防車に乗って駆けつけた郡山の自衛隊員が言っていた「民間の皆さんがこうして頑張っているのに我々は帰れません(うろ覚え…汗)」という言葉。当時の政権中枢の人々、よ〜く耳の穴かっぽじって聞きやがれって思いました(汗)。


映画はこうした歴史を記録する役割も担うのだ。