今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発


2020年の劇場公開が決まり、先ごろクランクアップの会見があったばかりの映画「FUKUSHIMA 50」。その原作本として紹介された本書。


東日本大震災で発生した大津波が襲った福島第一原発チェルノブイリ原発事故をも超えるほどの大災害の発生が懸念された現場で命懸けの陣頭指揮を執った福島第一原発所長・吉田昌郎さんを演じるのはケン・ワタナベ!もう1人の主演は佐藤浩市さん。佐藤さんはどなたを演じるのかなぁ


未曾有の災害現場。放射能汚染の危険のなか、福島第一原発での災害対応のために、現場で作業を続けた人々の存在を広く世に知らしめたのは海外メディアだった記憶がある。彼らを総称して「FUKUSHIMA 50」と呼んだのだ。


「死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発」門田 隆将 著(角川文庫)


以下、感想。。。


















私はあの時、家にいた。長い、長い横揺れにこれはただの地震ではないと外に飛び出した。その時、目の前の立体駐車場から車の停車するパレットがガシャンガシャンと音を立ててぶつかる音が響き渡っていた。足下からゾワゾワと何かがさざ波立ってくるような感覚。揺れはまだ続き、外廊下に飛び出したは良いものの、何かにつかまっていないと立っていられなかった。


隣近所の人たちと互いの無事を確認しあい、一旦部屋に戻った。揺れが大きく長かった割には、倒れた家具は無いし、ガスの元栓の自動ロックも掛からなかった。大きな被害の無いことにホッとしたのも束の間、たまたま置いてあった花瓶が倒れていたり、立てかけてあった本が倒れていたり、コンセント・カバーがずれ落ちていたり、これまで経験した震度4程度までの地震では起きなかった小さな異変が部屋中で起きていた現実に気づく。


小さな被害をチェックし、復旧している頃には家族とも連絡が取れ、皆の無事が確認できた。そして、やっと自分自身も落ち着きを取り戻しつつあった。


不思議なのだけど、あの時、すぐにテレビを点けなかったのだ。外に出て、近隣の無事を確認し、家に戻り、家族と連絡を取り、そして初めてテレビを点けることに思い至る。


最初に見た映像は状況把握のために海岸線に沿って飛ぶ自衛隊のヘリからのそれだった。隊員が今まさに海岸に押し寄せる津波の状況を報告しながらの映像だった。災害派遣等で過酷な現場に立つことの多い自衛隊員が言葉を失っている映像を見た時、これはとんでもないことになったと体が震えてきた事を覚えている。


本書は震源から遠く離れた東京に住む私でさえ恐怖に包まれたあの日、もっとも過酷な地震被害の中心で福島第一原発を守り抜いた吉田所長を始めとする所員に著者が直接会い、彼らの言葉を書き留めたものである。


現場の恐怖、所員としての覚悟。様々な物が語られる。自分の生まれ育った町を、自分の家族が住む町をけして失くさないための戦い。目に見えぬ放射能の恐怖は、原発で働く彼らは誰よりも知っている。確かに大きな地震ではあったが、まだ対応はできていた。ところが、そこに想定外の大津波が押し寄せ、全てを根こそぎ奪ったのだ。


現場の人たちは上昇し続ける汚染の度合いに一喜一憂するテレビの向こう側の人々のことを知らない。そして、テレビの向こう側の人々は、全ての電源が奪われ、手探りで対応していく運転員の人たちの苦労など知る由もない。


そこに自分への報告が無いからと直接現地へやってくる首相がいた。こんな人が総理大臣の時にこんな大災害が起きるなんて。首相1人が動くということは何を意味するか。1人のために多くの人間が動く。さらに彼1人のために、様々な手続きが一旦止まる。刻一刻と変わる状況に対処するには素早い判断と対応が必須で1分1秒も惜しい。


それなのに、何をしてるんだ、コイツ。それが正直な感想だ。


リーダーを誤ると国が倒れる。しかし、こんなリーダーを選んだのも元はと言えば国民だ。直接、菅直人を首相に選んだわけではないけれど、民主党を選べばこうなる…という意味で。


私はこの一連の菅直人の動きを見た時、選挙だけは真剣に考えようと肝に銘じた。まわりの流行のような噂や言葉に流され、間違った人間を選んでしまったら…


危急の判断を誤った男はその後の取材に対しても自分の非など無かったかのように発言し、他の者を悪者にした。確かに東電に対応の拙さ、判断の甘さはおおいにあっただろう。しかし、彼にそれを責めることが、できるのだろうか。本書に掲載された菅直人の言葉の中に謝罪は一切無い。著者が意図的に書き逃したとは思えない。


その点、福島第一原発はそれぞれの部門のリーダーたちが信念と覚悟を持っている人たちだった。さらにその人たちを統括する所長が命懸けで腹を据えていた。どんなに、文明が進化しようと人間がいる社会は、結局、人との繋がりが結果を大きく左右する。


現場に残ったというよりは残された、残らざるを得なかった人たちの覚悟の上に私たち、今の日本の生活が成り立ってるのかとただ、ただ頭の下がる思い。


最初の津波で作業現場で亡くなった2人の所員の遺体が収容されたという記事は当時、新聞で読んだ。放射能汚染の問題で探すことが出来ない状況が続いたなか、やっと助け出すことが出来たのかと思ったこと、1番最初に駆けつけ、命を落とした人の年齢がとても若かったことを記憶していた。確か1人は21歳と書かれていた。本書で取材に応じた遺族の方がその青年の両親だったのだ。


現場の方たちの姿を通して思うこと。それは誰しも同じだろう。涙を止めることが出来なかった。様々な困難に立ち向かった人たちの証言は胸が締めつけられ、もうこれ以上読み続けるのは無理だと何度も本を閉じた。


それに比べ、国や東電本社中枢は…と。何度も何度も思った。


今も福島では戦いが続く。私たちが忘れないこと。それが1番大切だと強く感じた。