今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

1917


なぜこの映画がアカデミー賞作品賞を獲れなかったのか……この問題は後々語り継がれると思う。アカデミー賞は白過ぎると批判され、アメリカでの公開作品に対象を絞りながら、変な底広げをしてしまったように思う。


確かに白過ぎると言えないこともないが、問題はどんな人にも公平に門を開くことであって、他者からの指摘に過剰に反応して勢いに押されて賞の行き先を左右することではない。


今回作品賞他、作品に関する主要な賞を独占した感のある「パラサイト」。確かに面白い映画ではあったが、貧富の格差に的を絞り、話が長くクドい展開は韓国映画の「普通」だと思う。話の展開はどこか既視感があった。これはアメリカが韓国映画を注目してこなかった結果じゃないか。だから、既視感すら抱く映画にコロッとやられてしまった…


まぁ、日本ではあんな映画は作れないとは思うけど…それとこれとは話が違う。


そんな風に感じてしまった。それに本作はイギリスの映画で、第一次大戦のイギリス軍の話なわけで、何事も自分ファーストのアメリカにとっては対岸の話なのだろう。これがアメリカの話なら文句無しで作品賞をゲットしたろうなと…


アカデミー賞を受賞しても後年忘れ去られる作品も多い。けして良い映画だけがアカデミー賞を獲るわけではないことも知っている。


作品に関わる賞を「パラサイト」がほぼ独占しながら、俳優の方は通常運転だったことを見ても、今回の「パラサイト」はカンヌでパルムドールを獲ったのを1つのポイントとして作品賞の対象にすることで、アカデミー賞が門戸を広げたことの象徴として担ぎ上げたようにしか思えず、作品の良し悪しより誰が作った映画なのかが評価されたように思えて仕方なかった。ちょっと捻くれた見方かもしれないけどね…今後、逆風が吹かないと良いけど…


ということで、関係無い前置きが長くなってしまったが、本作は絶対にスクリーンで観てほしい。大きくなくても良いからスクリーンで、テレビサイズで見る映画ではないと思う。とにかく、世の中「パラサイト」旋風が吹き荒れてるから今のうちならまだ席は取れる。だから、早いうちに。


それぞれのシーンをワンカットで撮影し、繋ぎ目は場面の展開と歩調を合わせて、あくまでも全編ワンカット風の映画だ。確かに「…風」ではあるが、その撮影方法のおかげで、観る者はすっかり戦場の塹壕の中に主人公と投げ込まれ、まるで自分が任務を受けたかのような印象を抱いたまま、ただただひたすら没入していく。


戦場にいるのだ。主人公が一歩進むごとに命の危険を体験する。そこで手に汗握り、グッと体に力が入り、戦場の悲惨さ、残酷さに目も向けられないほど、目の前の危険に集中していく。


久しぶりに終映後、疲れてすぐに立てない映画だった。


イギリスは戦線を大きく展開し、ドイツとの戦いに明け暮れている。戦争は駆引きだ。ドイツの前線基地が撤退したのを知った最前線のイギリス部隊はそれが罠とも知らず攻撃態勢に入る。ところが、後方で戦闘機により上空から戦線を見た将軍は、翌朝の攻撃を中止することに決める。


無線も使えない状態で最前線に命令を伝えるために最前線部隊に兄がいる上等兵とその友人が選ばれ、最短距離を行くために敵のいる戦場を抜けながら最前線へ走るように命令する。


1600人の最前線部隊を救うため、たった2人で戦場を駆ける。


有無を言わさぬ命令の下、まさに命懸けの任務。多分、彼らが生きて帰ることなど将軍は考えていない。命令に命を賭けることを良しとする考えだ。


ちょうど時期を同じくして、ピーター・ジャクソン監督の「彼らは生きていた」が公開されている。同じ第一次大戦でドイツと戦うイギリス軍の様子を当時の記録映像を彩色して再編集した変則ドキュメンタリーだ。


ピーター・ジャクソン監督もサム・メンデス監督も共に祖父が第一次大戦に参戦している。彼らは歴史の生き証人の生の声を聞いた最後の世代なんだそうだ。その「最後」が危機感となって、これらの映画が作られたのではないか。


映画は命懸けで目的の場所にたどり着いた主人公が将軍からの命令をしかと伝えるが、それで戦争が終わるわけではない。一時、戦線を後退させるだけのこと。明日はまた別な命令が下される。いったい、戦争とはなんなのだ。


これは戦争の現実を伝える反戦映画だと思う。兵士だけではない。そこに住む人々の生活も蹂躙される。主人公が踏む大地、泳ぐ川には兵士や住民の亡き骸が横たわる。主人公と共に没入した世界で、考えさせられる。なぜ戦うのかと…


上官役で名のある俳優たちが登場し、イギリスの軍人はイギリス人俳優が演じるのねと妙に納得してしまった。


是非ともスクリーンで!