今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

家族を想うとき


昨年末に公開されたのに…ケン・ローチ監督が引退を撤回してまで作ったのに…なんだかんだと予定が立たず、結局ヒュートラ有楽町での公開が終わってしまい…


角川シネマ有楽町で期間限定復活上映が始まり、喜び勇んで行ってきた。


勇んで行ったけど、お話の内容はまさにケン・ローチだった。


ケン・ローチ監督が引退作として世に送り出した「わたしは、ダニエル・ブレイク」…これも格差に喘ぐ人々の現実を十分に映し出していたけれど、引退を撤回して手掛けた本作は、さらに観る者の心を揺さぶる内容だった。


仕事中に大怪我をした夫に付き添う妻が夫の勤め先からのあまりに無慈悲で横暴な電話に汚い言葉を浴びせながら反論する場面。ケン・ローチの作品にはこういう声を発する人々がいる。虐げられ、自らの苦境を声に出し、抗議する人。


穏やかで介護の仕事を丁寧にこなす妻の限界点を超えた怒りに突き動かされた言動。自らの立場をハッキリさせる欧米の人々の明確な表明。


こういうところは国民性の違いなんだな…


ボロボロに傷つきながらも、夫は仕事に行く。顔に傷があろうと骨が折れていようと、今の仕事を手放したら、明日が無いことを知っているから。


車の前に立ち塞がり、必死に止める息子。仕事に行くなと、前の父親が良かったと懇願する息子。父親が悪いわけではないぞ。社会の構造からこぼれ落ちてしまった故の苦境なのだ。頭が良いと言われてる割に物分りの悪い息子にはずっと腹が立っていた。


社会に物申すのも良いが、自分はヒーローか何かのつもりなんだろうか。父と母が非正規雇用の状態でも必死で働いてるのはなぜなのか。それはお前たちを生かすためだ。お前たちの明日に希望を抱けるようにするためだ。


息子の言う「以前の父親」とは、郊外に自分の家を持ち、仕事が順調だった頃のことだろう。今は、全てが上手くいかない。


「パラサイト」も家族全員定職が無い。人に媚び諂い生きている。ところが、それほどの苦境に思えないのはどうしてだろう。これが監督のアプローチの違いなんだろう。本作はその苦境をそのまま告発している作品だ。「パラサイト」は格差社会をベースにしてはいるが、その苦境を告発することが目的ではなくあくまでもブラック・コメディとして成り立っている。


エンターテイメント性の高い作品が派手な賞を獲る。まさに公式通り!


私は前作「ダニエル・ブレイク」より本作の方が分かりやすいと思った。あれは近しい人、家族ではない人を思いやる話だった。本作のように家族に視点を置いた時、より身近に感じることができる。