今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

巡礼の約束


以前、岩波ホールで公開された「草原の河」のソンタルジャ監督の最新作。確か、「草原の河」はチベット映画の日本初公開作品だったと思う。


「草原の河」が素晴らしかった。長年の確執を抱える祖父と父。小さな娘が2人を思いやり、心を繋ぐ役割を果たす。子どもが宝だと言われる理由が分かるような、その力に救われていく話だった。


本作には最初、子供の姿はなかったのだが、主人公の妻が余命わずかと分かった後に里帰りをした際、母親の再婚に際して、実家に留め置かれた小さな息子がいたことが知れる。


チベットに暮らす人にとって、ラサは特別だ。地面に這いつくばり、祈りを捧げながら、ラサまでの道のりを自分の足で進む「巡礼」。


自分が不治の病に冒されたと知った妻は巡礼を思い立つ。現在では、その過酷な道程に車でラサへ参拝する人も多いらしいが、妻の決意は固い。こと、巡礼に関しては、彼らの国ではなにより大切で讃えられるべき行いだからなのか、家族もむやみに反対はできない。せいぜいが少しは楽な方法を勧めるしか手はない。


巡礼に出る前の妻の様子を不審に思った主人公は、病院へ妻の病状を確認し、慌てて後を追う。


その時には、妻の付き添いとして共に旅立ったはずの2人の女性のうち、1人はどこかへ姿を消し、もう1人も夫が来たのだから今晩は近くの親戚の家に行くとどこかへ行ってしまう。私はチベット仏教を信仰してるわけではないが、巡礼の旅に付き添うことを約束したにもかかわらず、途中で投げ出し、連絡もしないとはいくらなんでもあり得ない。こいつらには大罰が当たるだろうに…と思うが、それでも戻ってこないところを見ると彼女たちはそれほどの信仰心は無く、好奇心程度で付いてきたのだろうか。全く、どうしたことだろう。。。どこの国でも若者は扱いにくい。。。


こうして、主人公は寝たきりの父親を人に頼み、妻の巡礼に付き添うことになる。


妻の弟が巡礼の途中、妻の様子を見に会いに来る。同行した息子は妻からのお土産のおもちゃを持ってきていた。そして、帰りの車をヒッチハイクして、いざ帰ろうとすると息子は母親の側を離れない。なだめる意味もあって、主人公が巡礼に連れて行くと約束すると落ち着きを取り戻したのだ。


こうして、3人の巡礼の旅が始まる。既に出発から3ヶ月。妻は日に日に体調を悪くしていく。そして、最期を迎える。


道中出会った人々は巡礼をする人たちに優しい。彼らが多くの物を抱えて巡礼に出ていること知っているからだ。妻を見送った主人公。死の間際、妻から巡礼に出た理由を聞かされた。死んだ前夫が夢に出て、ラサへ来いと呼んだのだそうだ。そして、病気の重篤さを告知された。妻が息子に持つように伝えた小さなリュックには前夫の遺灰で作った仏像と写真が入っいた。


主人公と妻との6年間。確かにそこに愛はあったのだろうが、妻が前夫を病で亡くした無念さを抱えていたのも事実。


そうした思いを素直に受け入れられない主人公。妻を荼毘に付した寺で写真を壁に貼って供養するのだが、前夫とにこやかに写る写真を2つに裂き、別々に貼り付けるのはなんとも言いがたい。それほど、主人公にとっては大切でただ1人の愛する人だったのだなぁと……


しかし、息子の方はそうとは受け取らない。彼は主人公と母親が結婚するに際し、自分は捨てられたのだと思っていた。主人公が自分を嫌うから実家に留め置かれたと。でも、主人公の様子を見るとけしてそうではないのが分かる。きっと妻が亡くした前夫の面影を残す息子を共に連れて行くことに躊躇したのだろう。


妻を送り、主人公と息子だけになり、妻の遺志を継ぎ、主人公が残りの道を巡礼することに。その時、2人はロバの母子と出会う。そこまでの道のりで母ロバは力尽き、死んでいた。残された子ロバ。行くアテのない子ロバは2人の後からついてくる。妻が去った旅に新しく加わった仲間。


道路標識にラサまで3キロとの表示が出てくる。早い人なら1日5キロ進むらしい。早くラサに行きたい息子だが、辺りは山に囲まれ、ラサを望めない。近くの山のてっぺんに立ち、ラサの町を見た息子の呆然とした表情。母が命を懸けて向かったラサが目の前だ。気が急いたに違いないが、主人公は言う「ここで数日休んでからラサへ向か」と。


ラサへ入る前に髪を洗い、散髪し、衣服を整える。そのための数日だ。ラサは彼らの心の故郷であり、崇高な思いの溢れる場所なのだ。


息子の髪を切るジョキ、ジョキという音ともに暗転し、映画は終わる。


巡礼を終えたら、きっと2人は共に暮らし、父子として生きていくのだろう。互いの愛する人と共に進んだ巡礼の思い出を心の支えにして…


この度もまた、素晴らしい映画を観せてもらった。