今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

罪の声


小栗旬星野源、W主演の「罪の声」。初日に観てきた。これまで、映画館は法律の定めがあって、換気など十分に行われてると広く呼びかけていた。作品数も少なく、洋画については大作のほとんどが公開延期で客足も本当に徐々に、徐々にといった感じだった。


前後左右を空けて席を販売していたが、そんな心配もいらないほど、客は来ない…という状態だったのだろう。ところが、「鬼滅の刃」の劇場版が公開されるや全く違った風景になった。


平日も「鬼滅の刃」に関しては多くのスクリーンが割かれ、某劇場では、他の映画は1日1回しか上映されず、残りを全て「鬼滅の刃」に…なんてことも。


テレビアニメの影響だとは思うが、それほどの爆発的な人気ぶりを読み切った東宝にあっぱれと。しかし、まぁ、他の作品をのんびり鑑賞したかった私のような人間にはとんでもないことだ(汗)。


おそらく、システム上の問題もあるのだろうが、1つのスクリーンを全席販売にしたら、他も同じことになるのだろう。


そして「鬼滅の刃」公開前後から、大手シネコンは全席販売に舵を切った。最初は週末だけだったのに、祝日や金曜公開作の登場で、都心のシネコンの劇場では平日も全ての日で全席販売。本当に残念でしかたない。。。


映画業界がコロナの影響で厳しい状況なのは知っている。それでも、目に見える形で感染対策をしてくれているから、前ほどではないが、ちょっと行ってみようかと思ってたのに。。。


ロビーの混雑度合いの上昇に反比例して、人が触る場所などを消毒してるスタッフの姿をほとんど見かけなくなった。どのタイミングで消毒してるんだろう。上映中のロビーが空いた時?それなら、見かけることが少ないのは仕方ないけど…でも、手指消毒のボトルも片隅に追いやられてる状況を見ると上映中とか客の目に触れない時にやってるとは思えないのが正直な感想…客の意識を保つ上でも、見てるところでやった方が絶対に効果はあると思うが…


人気作品の登場に便乗するように全席販売が普通になってしまった。もちろん、全席販売の際は、スクリーン内の食事は禁止で、マスク着用は必須らしいが、チラチラ見てると飲み物を飲んだタイミングでマスクを外したままの人もいた。横を見たら相方も同様。家族なので、さすがに注意したが、先の席のご夫婦まで注意はできない。しかも、その人ら、カバンに忍ばせてきたらしい何かを食べてるし…隅っこの席なら多少のことは見咎められないと思ったのか…


この夫婦の凄いところは、4席ブロックのところを1席空けで購入して、他の人が買わないよう牽制しながら席をゲットしてるところだ。「鬼滅の刃」じゃないから、満席にはならないと踏んでの所業だろう。なんとも小狡く小賢しい夫婦だとびっくりした。


映画始まって直後に、映画以上に目を引くそんな人たちがいたので、ヤバいヤバい、気にするな!と自分に言い聞かせて…


公開直前、テレビでやたら耳にした子供の「京都へ…」のセリフ。本作はあのグリコ森永事件をモチーフにした作品。小栗旬くんが出演すると聞いて原作本を先に読んでいたが、物凄い説得力に驚いた。有名菓子メーカーのトップを誘拐し、身代金を要求しながら、結局は金を手に出来なかった犯人。キツネ目の男が捜査線上に浮かび、その似顔絵が何度もテレビで紹介されたが、その行方はようとして知れなかった。身代金要求の声は、誰がどう聞いても「こども」。現在のように声の加工が簡単にできる時代ではない。いったい、この犯人は何者なのか、1人なのか、2人なのか…どうして、子供の声なのか…


様々な疑問が重なり、世間で様々な話が飛び交い…そして、事件は終幕した。犯人の終幕宣言と共に、犯人自体も姿を消した。


当時、この出来事に上手く理由のつけられる者はいたろうか。原作はそこのところをまさにこうだったのではなかろうかと1つの推論を提示した。日本を変えようと純粋な思いから始まった学生運動がいつしか流れが変わり、様々な考えが乱立していく。その過程で、その背景たる時代も動いていく。あの時代だから、起こった出来事として語られる。


出演者はみな熱演で、原作の持つリアルさを十分に伝えていた。今回、脚本を野木亜紀子さんが担当され、そのこともこの映画に良い結果をもたらしたと言われている。テレビの脚本家さんがどんどんと映画に進出されていく。映画だからこそ描けることもあるだろう。今後が更に楽しみだ。


リアルにグリコ森永事件を知っている世代には、事件を改めて掘り下げていく記者の阿久津(小栗旬)が頼もしい。そうなのだ。今だから話せること、事件には必ずそうした背景があるはずだ。


真実のグリコ森永事件についても何か新しいことは出てこないだろうか。そう思った。


ストーリーについて書いてしまうとネタバレになるし、この話はネタバレしてしまうと一気に面白みを欠くだろう。ただ、俳優陣の熱演がそのリアルさに力を与えていたのは間違いないとだけ…


最後に、テーラーの曽根は自分の母親との関係を、生島青年と自分の来し方を並べてみてどう考えただろう。けして許されない罪を犯したことを生島青年に話すことはできるだろうか。あの時、曽根の母親は死ぬべくして死んだのだ…そして、そこだけがリアルでなくて、やはり創作だからこそと思う部分だった。命の限りが見えてきた時、無理矢理一時退院までして全てを闇に葬ろうとした母親を彼は許すことができるのか。人の死はこうしたケリを強引につけさせる。