年明けは普通に過ごせた今年。しかし、1月下旬頃からコロナ感染症の動きに世の中が翻弄され始め、多くの方が亡くなり、今も重症で治療中の方が日々増えている。
大好きな映画も映画館の休業で、公開が延期されたり、ネット配信に切り替わったり、大変な1年だった。
コロナが騒がれだした頃、いち早く休業を打ち出したTOHOシネマズ。それに続くように大手シネコンが次々休業。映画館は法律で換気が義務付けられており、「3密」にはならないと早くから言われていたが、やはりちょっと怖い。そして、映画館への足は遠のいた。
それじゃあ、読書に勤しんだかと言えば、そうでもない。これまでは街なか出知人と会うと立ち話もできたが、それすら出来なくなり、知人に用事のある時は電話をかけた。スーパーに並んだり、遠くの店に買い物に行ったり、時間だけをどんどん使う日常になった。だから、落ち着いて本など読んでいられない。
何度か波があって、今、今年最大の波が押し寄せている。
世の中はコロナの不安でいっぱい。にもかかわらず、町には人がいっぱい。
それぞれがコロナの再拡大を不安に思ってはいても、生活に関わる動きを止めてまで用心してるわけでもない。これでは、いつまで経っても根絶などあり得ない。
そうかと言って、何もせずに生きていける人間は世界に1人もいない。
それなら、考えつく限りの感染拡大防止の措置を講じて動くしかない。
みんな、今ほど「ジレンマ」という言葉の意味を痛感してる時はないだろう。
年末、高齢の父親が緊急手術を受ける状態になった。何度か大きな病気は経験しながらも、同じく高齢の母を助けながら2人で暮らして来られた父親。しかし、高齢になるといざという時、「死」というものに直面することになり、彼らの独立した生活の成り立ちに安心しきっていた子供たちは右往左往することになる。
そこへ来て、コロナの再拡大だ。病院帰りの乗換駅に直結するショッピングモールで、惣菜を買おうとした私はあまりの混雑ぶりに恐れを感じた。ソーシャル・ディスタンスなんてまるで成立していない。ちょっと歩けば人と肩がぶつかるほどの密集状態の店内。父の入院に振り回され、世の中がクリスマスで沸き立っていることに気づかなかった私は、ただただ恐ろしくて、何も買わずに店を出た。
少しはコロナの再拡大で、感染防止の意識も強くなってるはずとは思うが、マスクをしていれば大丈夫なのか。電車内は勤め人が多ければ、みな静かにしているが、バスなどでは状況が違う。市民の生活の足であるバスは、やはり、通勤客を多く乗せる電車とは意識が違う。大声で喋りながら乗っている。乗り物でよく喋ると言えば、おばちゃん連れだが、バスでは、おばちゃん連れと外国人連れは、ホントによくべらべらと喋り続けている。マスクをしてたら完璧ではないんだよと伝えたいくらいだ。
外国人を差別してるわけでなく、乗り物でいつも通りの声で喋るのは彼らの文化なのだろう。でも、現在の状況を考え、回りを見て学んでもらいたいとは思う。現にきちんとマナーを守っている外国人もいるのだ。ただ、突出した人が目立つわけで、その目立つなかにおばちゃん連れと外国人連れが多いということだ。
さらに最近ではその有効性に疑問が呈され、飛沫防止対策のためのマスクとしての効果がほとんど無いと証明されたウレタン製マスクをしている人をまだまだ見かける。確かに値段も安いし、日常的に使用するには良いのかもしれないが、効果が無い物を装着していて、怖くはないのだろうか。ウレタンマスクの人が咳などすると私は寒気がする
どんなに気をつけていても感染する危険があるコロナ感染症。だからこそ、できる限りの対策を取るべきだ。何をしても感染するというなら仕方ないから何もしない…というのはあり得ないのだ。
1人1人が自分のできる範囲で対策を取ることが、身の回りを守ることに繋がっていく。
静かな正月。それは今の人類に与えられた課題をそれぞれの立場で考える時間ということのように思う。
現在、映画館はマスク着用をほぼ義務付けはしているが、前後左右1席空け販売を止め、全席販売に移行し、スクリーン内での食事も認めた。この体制になってからは1度も行っていない。映画館でのクラスター発生は確かに発表されていないが、未だ感染経路不明が多く存在することを考えると、不特定多数の人が密室に2時間、席も動かずそこにいる現状を安全とは言えないと思ってしまう。
来年はこんな不安な思いを抱かずに年明けを迎えたい。
今年の更新はこれが最後となります。こんな場末のブログに訪問してくださった方がいらっしゃったかもしれません。ありがとうございました。