年末、入院中の父親の関係で出かけることが多く、その移動中に読んだ。入院中とはいえ、このご時世なので、コロナ対策のため、面会は原則禁止。医師や看護師から必要があった時に呼び出しを受け、初めて面会可能となる。
基本的に娘なので「家族」ではあるが、同居家族ではないし、配偶者でもないので、私の優先順位は低い。ただ、杖をつく母親1人を遠くの大学病院へ指定の差し入れ荷物を持たせて向かわせるわけにもいかない。そのための付き添いだ。
良い時間潰しにはなったかな。
「陰謀の日本中世史」呉座勇一 著(角川新書)
以下、感想。。。
呉座勇一さん。確か「英雄の選択」でコメンテーターとして出演してるのを見たことがある。来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証を担当されるお1人だったかと…
正直、番組等での発言からすると、独特の持論を展開する人だったような印象。
内容はタイトル通り、日本中世史において、様々な歴史学者や在野の研究者が発表している「陰謀」について、その内容と矛盾点をあげ、論証している。
○○さんの説にはこんな矛盾点がある。△△さんの説はこんな感じ。でも、□□さんの説にもこんな見方がある。
こういった調子で、世間一般が好む歴史の中の「陰謀」を論破していく。歴史は歴史として、ちゃんと論じられていれば、めちゃくちゃな「陰謀論」には振り回されないはずだが、その境界線が微妙だから、私達、一般人は過剰に盛られた歴史ドラマをまるで本当のことのように思い込み、なかなか「陰謀論」から抜けられない(汗)。
呉座勇一さんは、その辺りを指摘されている。学術部門の研究者がもっときちんと論破しないといけないと。在野の研究者の突飛な発想は確かにウケは良いだろうが、根拠薄弱なものはしっかり論破しておかないと、その説は残り続ける。そうすると、いつの間にか残ったものは良いものだという流れになってしまう。
学術研究者たちはもっと自分の研究分野に責任を持たねばならない。突飛な発想を端から相手にせずという態度でいてはいけない。もっと自分の研究分野に敏感にならなければ、いつしかウケの良い「陰謀論」で歴史は染まってしまう。
呉座勇一さんは、本書でそんな危惧を訴えているように思う。