今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

サクリファイス


WOWOWで放送中のドラマ「インフルエンス」の原作者、近藤史恵さんの作品。前からよく耳にするタイトルで、気になっていたので読んでみる。


サクリファイス近藤史恵 著(新潮文庫)


以下、感想。。。
















「インフルエンス」とは、影響とか影響力という意味だった。では、「サクリファイス」はどんな意味かと調べてみると、「犠牲」とか「いけにえ」とか、さらに「あまり意味がないので放り出す」とあった。


なるほど、本作を読めば、その意味が分かる。ロードバイクの世界のことをほとんど知らない私などでも「ツール・ド・フランス」くらいは知っている。


かつて、競輪で一時代を築いた中野浩一氏が言っていた。僕はヨーロッパに行けば、街を歩いただけで、どんなところでも皆から暖かい声をかけられるが、日本ではそうはいかない。この言葉が日本での自転車スポーツの状況を示している。今はどうなんだろう。「ケーリン」がオリンピック種目になり、ロードではない自転車スポーツもしっかり立場を形成出来たのだろうか。


本作は「ツール・ド・フランス」のような本場のトップが苛烈な生き残り競争を勝ち抜いて出場するレースを遥か彼方に夢に見て、日本を舞台に、いつか本場のヨーロッパで戦うことを目指す選手たちの話。彼らの乗る自転車をロードバイクと言うくらいだから、自転車乗りのことはライダーと言うのだろうか。


主人公は、ガツガツと勝負に全てを懸ける人間ではない。それは、端から見るとかなり歯がゆいらしいのだが、私には気持ちがよく分かるし、こんな人こそ「カッコいい」と思ってしまう。多分、自分の中の視点と外から視点との解離に戸惑いながら生きてきたのだろう。


陸上界ではそこそこ名の知れる結果を残した高校時代、結果を出せば出すほど、自分を取り巻く人の思いについていけなくなる主人公。ただ、自分は風をきって走ることが楽しいだけなのだ。でも、それをまわりは許してくれない。高みを目指さない彼を理解できない。


ただ主人公が幸せだったのは、そうしたまわりとの温度差から逃げることができたことだ。町内で名の知れた野球少年が本人の意思と関係ない形で進路の選択をし、まわりの期待に自分を見失い、結局大好きな野球を諦めざるを得なかったというよくあるパターンを私は目の当たりにしたことがある。


とある近所の1つ年上のお兄ちゃん。ちょっと大きな大会で活躍し、地元の野球名門校から声がかかった。学校も街も大騒ぎだ。その子の親まで舞い上がってた。星一徹のような自分の息子の才能を見抜いた上での行動ならいざ知らず。そして、少年はまわりの期待通りに進学したが、間もなく名前も姿も消えた。子供に自分の実力を冷静に見極めるなどできるはずもない。大人たちの思惑や夢に振り回され、少年の野球生活は終わった。後で知ったことだが、入学して1年経つ頃には野球を辞めていたらしい。それからの残りの高校生活はどれほど苦しかったろうかと。自分が納得して野球を離れたなら、私たちの前から姿を消さなくても良かったはずだ。しかし、少年を次に見るのはずっと先のことだ。そこに彼の苦しさを感じたのは私もずっと後のことだった。


主人公はまわりの思惑や期待に振り回されることなく、自分を冷静に見つめることができ、しかも、彼の思いを理解する大人に恵まれたんだろう。幸せなことだ。スポーツの第一線で働くことは才能だ。少しくらい上手いだけで極められるはずもない。ただ、その才能をどう発揮するか、自分の思いにどう繋げるかは、本人にかかってくる。ある意味、それも才能なのかもしれない。


分量的には「インフルエンス」と同じでさほど多くない。でも、訴えかけられたものは圧倒的に多かった気がする。


自分はひとり。でも、生きていく時、必ず誰かと接していく。どこまで自分の感情を冷静に見つめることができるか、これはスポーツに限ったことでなく、その度合いが合致しないと同じ時間を生きるのは難しい。


自転車レースというチームスポーツながらも1人の個人を全員でアシストするという独特のルールを物語に取り込み、それを「犠牲」と取るのか、自分の力が発揮される場所と取るのかで、その人の生き方は大いに変わることを描いている。ただし、普通の人間はこれを「犠牲」と受け止める方が圧倒的多数だろう。


ルールはルールとして受け止めながらも、その心の奥では見返す日を夢見て、「犠牲」を受け入れている人が多いに違いない。ただ、その度合いだ。


そこを見誤り、いつまでもこだわり続けると一生を誤る。香乃と袴田はまさにそうだ。2人はある意味、お似合いだ。これは思いっきり嫌みだ。2人とも生きるうえで、自分の能力が人より数段高いところにあることを意識している。その自意識過剰ぶりはあまり表立つことは無いけれど、何かの時にふと顔を出す。


彼らは主人公の視点では、カッコ悪い人たちなのだ。でも、主人公はそこをどうこうしようとは思わない。彼らの人生だ。だけど、彼らのつまらない小細工に翻弄されたくはないだろう。まるで風のような主人公が本当に風に乗っていく。


本作はまさに「サクリファイス」の意味を教えてくれる。必要ないから放り出す。放り出されたのは、袴田と香乃ということだ。