今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

椿の庭


今年、最初の1本が4月半ばとは…コロナ禍での生活において、映画を映画館で観るというのはなかなかに厳しいもの。へっちゃらな人はへっちゃらなんだろうけど、最低でも月に1度は高齢の両親の通院に付き添わなければならない身としては、私が感染するわけにはいかないという思いも強い。でも、映画館は感染対策に十分に取り組んでいるとのことで、三密には当たらないらしいから、後は受け止める側の問題なんだろう。


さらに、洋画の大作は次々と公開延期になり、ちょっと渋滞してる感じもあって、結局、今年最初の1本がこの時期になりました。


洋画の渋滞とは違い、邦画の方は結構コンスタントに公開されている。コロナ騒ぎの初期の頃に延期になった「燃えよ剣」などは相変わらず公開延期されたままではあるが、その他は割とちゃんと延期時期を定めて公開されているように思う。


「椿の庭」は以前から評判を耳にしていた。監督がカメラマンであるということで、美しい映像が期待できると…さらに、富司純子さんの主演と「新聞記者」で日本アカデミー賞主演女優賞に輝いたシム・ウンギョンちゃんの出演…また、どうした経緯なのか、チャン・チェンが出ている。これは観ないと…とは思ったけれど、最近の映画館の全席販売がどうしても引っかかる。見ず知らずの人と何時間も席を接するのは、いくら喋ることは無いとはいえ、ちょっとリスクが高い。


ところが、公開劇場が今も全席販売を中止しているシネスイッチ銀座だ。これは私的にラッキー。


朝から物凄い雨の日で初回にもかかわらず、各列1〜2名は確実に入ってる。やはり、前評判の良さが客足に影響してるようだ。


さて、本編は…静かに佇む日本家屋。そこに暮らすのは夫に先立たれた高齢の女性。夫の四十九日法要から始まるが、そこには嫁いだ先から駆けつけた次女と先に亡くなった長女の忘れ形見が参列している。


孫娘は、既に韓国に家族はなく、祖母の家で暮らしている。日本語を勉強しながら、高齢の祖母を支え、ともに思い出の詰まった家を守っている。


遠く海を望む縁側のある家。庭は季節ごとに庭師に手入れを依頼し、ガーデンテーブルで季節の果物を食べながら過ごす。着付けは自分でしっかりと行い、着物で日常を過ごす。食事はきちんと一汁三菜で、果物は旬のものを食べ、お茶は最後の一滴まで注いでいただく。季節が変われば建具を取り替え、風を通す。庭の落ち葉は毎日掃く。庭の鉢には金魚が泳ぎ、季節ごとに窓には虫が姿を現す。


どれもことさら華美に誂えることなく、自分の身の回りは自分で整える。こうした自分で整える暮らしこそ、幸せな暮らしと言えるのかもしれない。現代は忙しい。この椿の咲く庭のある家のように静かにゆっくりと時が過ぎていく暮らしこそ贅沢というものだ。


愛する夫と暮らした家には、庭の木にも客間の椅子にも夫との思い出が鮮明に焼き付いている。女性2人で暮らすには大き過ぎる家は、相続するのも大変だ。現実問題として、相続税を支払うためにも家の処分が必要になっていた。夫との思い出、夫の生きた証を自らの手で手放さねばならない。


孫の渚が一緒に暮らすようになって、暮らしにハリが出たとは思うが、それだけではない。夫のいない家を処分することは、もしかしたらただ1人生きることより辛いのではなかろうか。家を手放すことが決まった後、持病の薬も飲まなくなり、ロウソクの火が少しずつ弱っていくかのような祖母の姿を見ている孫娘は許せないのだ。祖母に元気でいてほしい。自分の母親が死の間際で「ごめんなさい」と日本語で言ったことの意味を孫娘は十分に知っている。親の許しもなく父と駆け落ちして韓国で暮らした母。父を亡くした後、母は女手一つで両親の家に戻らずに自分を育てた。母子は十分幸せであったけれど、日本で心配し続けた両親(祖父母)への「ごめんなさい」なのであろう。孫娘はそれを伝えにきたのだろう。母の叶わなかった望みを娘として叶えにきたのだ。


全編通してセリフは少ない。役者陣の表情で語る場面も多い。季節の変化に合わせた天気や木々や花、空を挟むことで、読み取る映画なのだろう。


富司純子さんの凛とした佇まいがこの映画に1本の筋を通しているように思う。そして、母の思いを胸に祖母に寄り添う孫娘を演じたシム・ウンギョンちゃん。この映画は確かに住み慣れた家とともに命の火が消える富司純子さんが主演であるが、シム・ウンギョンちゃんの存在感はハンパない。ある意味、彼女の映画と言っても良いくらいだ。実はこの映画こそ、シム・ウンギョンちゃんの日本での初仕事なのだそうだ。「新聞記者」はこの後だったらしい。言葉の問題など関係ない。本当に上手い女優さんだ。素晴らしい。コロナ禍で人の移動が難しい時ではあるが、また日本映画でその姿を観たい。 


そして、最後にチャン・チェン。税理士ファン役で出演。家を手放さねばならい状況下でも、家の行く末は気にかかる。そんな家主の思いを汲んで、家を大切にしてくれるという買い手に心当たりがあると言う。そして、話が纏まるのだが、ファンの顔が暗い。なぜだろうか。家主が亡くなり、家が買い手の手に渡った直後、思い出の家は取り壊される。確かに買い手が何をしようと、金を受け取り、全てを処理した後では何も言えないが、大きなクレーンで倒されていく家を見つめるチャン・チェンの表情は秀逸だ。これが「大切にする」という事なのか…現実問題として、そうせざるを得なかった家の解体を悲しい目で見上げる姿が響く。


その足元で、庭の鉢から金魚を救い出す孫娘、シム・ウンギョン。ラストに登場する2人がとても良い。日本人でなくても、日本の心は表現できるんだなぁ。これは日本映画なのだ。