今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

唐山大地震


4年前、あの未曾有の大災害「東日本大震災」…


当時、震災被害を思い起こさせるという理由で上映中止を余儀なくされた映画や公開延期を選択をした映画が数多くあった。


その中でも、本作は映画の題材が32年前に24万人もの死者・行方不明者を生んだ中国・唐山での大地震だ。


映画の内容は、宣伝の段階から地震だけを描いたものでなく、その後の復興と人生の軌跡を辿ったものだと言われていた。


内容を聞いただけでも、私は観る気でいたのだが、相次ぐ公開延期や中止の決定の中、最後まで公開に向けて、努力がなされていたらしい…


けして、地震の苛烈さだけを描いているものではないのだと。その後の人生を精一杯生きた人々の話だからと。


しかし、大勢を覆すことは出来ず、結局公開延期となり、しかも、他作品と決定的に違ったのは、「公開未定」となったことだ。


ある程度目処が立ったらという雰囲気も無かった。


公開中止になった作品は早々とDVD化され、延期となった作品は年内には順次公開に踏み切っていった。


そんな中で、一切話題にのぼらなくなった本作。このまま、日本での公開もDVD化も一切無いまま終わってしまうのかと思っていた。


ところが、震災4年をむかえたこの時にかなりの小規模で公開に。


3/14(土)東銀座の東劇で…


初日の最終回に行った。場内は席数も多いし、シートもハイバックで素晴らしい。ところが、鑑賞客は10人ほどだった。


確かに、大ヒットを生むような映画ではないけれど、もう少しと思った。


お話は、中国のどうみても都会ではない唐山から始まる。時代的な色が映画に強く反映されている。冒頭は町の空を大量のトンボが覆い尽くす。良くない前兆…誰もがそう思う描写から。


まだ、質素で人民服で歩く人も多く見かける時代だ。扇風機を買ったことが自慢になるほどの時代。


町では開発の波が起き、そこかしこで昼夜を問わず、鎚音が響く。そんな町を突然襲った大地震


石造りが基本の当時の建物。崩落の描写は凄まじい。思わず顔を背けた。


瓦礫の下に閉じ込められた双子の姉弟。なんとしても、2人を助け出したいが、それが許されない状況で、母親は弟を選択する。


瓦礫の下に届く母親の声。自分は母から見捨てられたのだと希望を打ち砕かれる姉。


瓦礫の下敷きになり、腕を失った息子と唐山に残って必死に生きる母。


自分をかばって死んだ夫や瓦礫の下から生きて救い出せなかった娘への悔恨を胸に旧正月の迎え火で夫と娘に自分が唐山に居残っていることを告げる母親。


ハンデを背負い、復興する町で生きることの厳しさ辛さ。見捨てられた命を新しい環境で生きる辛さ。


地震後の本当の辛さや厳しさは、この映画では描かれていない。


生き別れになった家族がそれぞれの道で再生していく物語だと言っても、敢えて苦しい部分はスルーされている。


むしろ、ハンデをバネに唐山を離れ、自ら事業を興し、社会的に成功する息子を養父母の元で慈しまれ、健やかに育ち、進歩的な発想で生き、シングルマザーとなる娘など、苦境に立たされた人々もこうして生きて成功しているとかなり肯定的に描かれている。


こんなに恵まれた形で生きた人がどれほどいたのかと…


そういう意味で、中国色の強い映画と言えるのではないかと…


しかし、この唐山大地震を経験した人々の心には苦しむ人々への強い思いが残ったことは十分理解できる。


記憶に新しい四川での大地震。たくさんの唐山の人々が被災地に駆けつけ、救助に参加したのは、こうした思いが行動になったためだろう。


その場で、32年前、姉を犠牲にして生きながらえた弟と弟のために見捨てられた姉とが再会する。


互いに兄弟だと名乗る場面は無い。


そう、この映画はことさら涙を誘うような場面を敢えて省いているのだ。


だから、こんな大災害のその後を描く映画でありながら、涙を流しつつもどこか冷静に見続けられる。


とにかく、5歳くらいの子供が40代に手が届くかというところまでの長い年月を描くので、彼らの節目になる時だけを次々と観る形になり、かなり疲れる。


前半の地震発生から、直後の生活ぶりの段階と、新しい地震後の生活ぶりと物語として全く続かないような印象も受ける。ところが、最後の最後で四川の大地震が起き、救助活動の場で姉と弟が出会い、一挙に地震当時の家族の物語に戻っていく。


途中のフリが長い分、締めが妙にあっさりしてる気がする。


日本人の感覚なのか、私独自の感覚なのか、32年ぶりに娘に会った母が娘の姿を見て、なじる場面はどうにも馴染めなかった。


「なぜ、生きているなら、訪ねてこなかったかのか。お前に詫びながら、唐山で生きてきたのに」と。


なんで、こんなこと言えるんだ?あんたが娘を見捨てて弟を選んだんだろ?娘はあんたの選択を自分の耳で聞いてたんだぞ…と私は思った。


そんな、母の思いに最初は素直になれない娘。そりゃあ、当然だ。ところが、お墓に娘用の教科書などが置かれていたのを見て、母に詫びる。


この娘は良い育ち方をしたんだな。養父母が人を慈しむ心を育ててくれたんだ。「家族はどこへいっても家族」とずっと教え続けた養父母がいたからこそ、あそこで実母に詫びることが出来たんだろう。


生きる希望をすっかり奪い去っていった過去の大地震。しかし、人は少しずつ立ち上がって生き続けた。それは、その地震で亡くなった人の分まで生きるために。それが彼らの「希望」になったから。


壮大な人生の物語と言っていいんだろう。


中国がちょうど変わっていく時代の色も反映しているまさに中国映画って感じの作品。


地震の描写は強烈だけれど、それだけの映画ではない。