今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

母と暮せば


こまつ座「母と暮せば」2018年版・2021年版…


衛星劇場(CS)で放送のあった舞台「母と暮せば」。確か、映画の方が先に制作されてたよなぁ…と。吉永小百合さんと二宮和也くんの映画だった。確かに吉永小百合さんは美しい。でも、邦画界で吉永小百合さんはもう神格化された存在で彼女の出演作品はどんな作品であろうと素晴らしい作品でなければならないと、皆が、いやマスコミがもうそんなレールを敷いてるような、そんな感じに受け取れる。


10年くらい前に何作か見たけれど、どこか無理矢理な感じがして、それ以来吉永小百合さんの映画は見ていない。もう大御所になり過ぎたんだろうな…だから、二宮和也くんが息子を演じる映画版は見ていない。まぁ「俳優」としての二宮和也くんがかなり苦手というのもあるんだけど(汗)。


苦手な俳優、女優が多すぎる、私(汗)。基本的に圧が強くて一本調子な役者さんは好きじゃない。でも、私がそう感じる俳優さんは世間では評価されてるから、あくまでも個人的な好みの問題なんだろうなぁ…


好感抱いてたけど、役のチョイスで苦手になってしまった俳優もいる。それはもう仕方ない。


で、最近の松下洸平くん沼状態で、映像作品の少ない彼を見るには舞台しかない(汗)。衛星劇場様のおかげで、彼の凄さに打ちのめされてるわけだ。


母役の富田靖子さんと息子の松下洸平くんの2人芝居。「木の上の軍隊」も実質演者は山西惇さんと松下洸平くんの2人だった。大人数の舞台も華やかで大きな芝居を楽しめるのだろうが、ベテラン役者との2人芝居は若い俳優にとって、その力を磨く絶好の機会だ。


90分ほどの作品。録画したものを2018年版と2021年版、一気に見た。


2018年版は舞台としては初演となるのかな?初演時に既に3年後の再演が決まっていたらしい…そりゃあ、大変だ。再演が決まってるのに失敗はできないもんなぁ…


まず、2018年版から見始める。「木の上の軍隊」とはまた違った視点から「戦争」を語る芝居。長崎の原爆投下から3年後がお話の舞台。3年前のその日、息子は浦上にある医科大学の授業に出ていた。そして、原爆投下の業火に焼かれ、還らぬ人となった。


母は息子を送り出した家でその時を迎えるが、直接の被害はなく、全て焼き尽くされた浦上の街で帰らぬ息子を探し続けた。その後、息子は死んだのだと自らに言い聞かせながら日々を過ごすが、戦後の乏しい食料事情の中でも息子に陰膳を据えるのを欠かさない。


そんな母のところに息子はやってくる。死んだはずの息子の幻影を見ているのか…母は、様々な思いを息子に伝え、息子の最後を伝え聞く。


原爆症の発症を予感させる紫の斑点が腕に見られるようになった母は、息子のいる場所へ行こうと考えていた。だから、助産婦の仕事も辞め、食事の量も減り、その時を待っていた。


でも、既に命のない息子は、母の諦めを許さない。自分の分まで生きてほしい。幸せは生きる人のためのもの。


そして、息子の訴えに母はもう1度、大切な仕事の7つ道具を手に取る。ここで幕。


お話は2018年版も2021年版も同じだ。でも、再演の方がやはり進化している。いや深化してると言うべきか。その深化を感じたのは、松下洸平くんの佇まい。立っているだけの姿でも堂々として見える。富田靖子さんも息子を失い、自らの体の不調に生きることへの情熱を失いかけた母の苦悩がより直接的に感じられる。


撮影時期の関係もあるのか、再演の方がお2人ともそれぞれの感情が溢れ出て、涙を流す場面もあった。それが、見てる者の心を打ち続ける。


見終わった後、しばらく立ち上がれなかった。富田靖子さんはやはり素晴らしい役者さんだ。そして、松下洸平くんは凄まじいな。


最近、松下洸平くんは歌手活動が本格化していて、そりゃあ、歌が人一倍上手いからそれも楽しみではあるんだけど、どんな人にも1日は24時間しかなく、1年は365日しかないわけで、そこに映像関連も入ってくると板の上の彼を見られる機会は減ってくる。それが残念で仕方ない。ホントにそう思う。そう思わせる芝居なのだ。