今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

デビルズ・ノット


TOHOシャンテにて鑑賞。


アメリカで人々を震撼させ、その成り行きが注目されたという実際の児童惨殺事件を題材にした映画。


当の事件は容疑者が逮捕され、裁判も行われたが、未だ冤罪の疑いが濃く、未解決事件として扱われている。


未解決事件の映画化と言うと、何と言っても韓国映画だと思う。


ポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」は有名で、同じ事件を題材に「殺人の告白」も公開され、話題になった。


ところが、ある映画評で聞くところによると、アメリカでは未解決事件の映画化はかなり珍しいのだとか。映画として、一応の完結をみないといけないので、最終的に事件の「結果」を映し出さなければならないワケで、訴訟社会のアメリカにおいて、未解決事件の犯人を描くことはその後の問題にもなりかねないということなのか…


果たして、どんな結末が待っているのか…


映画は、この事件の被害者の1人、8歳のスティーヴィ少年の母親の描写から始まる。


あどけない笑顔のスティーヴィ。夕方レストランへ働きに行く母親に、自転車に乗りたいと言って、友達と出かけていく。母親が出かけるまでには帰ると約束して…


そして、母親は時間に帰らない息子に心を残しながらも、夫に後を託し、仕事に。


夜になっても、帰らない息子。息子と出かけた友達も…


町をあげて、少年達を探すが、彼らの消息は用として知れない。


住民、警察総出の山狩り捜索で、3人の少年は無残な姿で発見される。


暴行の後が生々しい子供達は全裸で縛り上げられ、池に沈んでいた。


なんと酷い…


その無残な姿から連想したのか、閉鎖的な町でカルト的な行動で、目に付く3人の少年が容疑者として逮捕される。


この辺りがどうもバタバタとしている。血だらけでレストランに飛び込んできた黒人の男やスティーヴィと面識があり、事件直後に町を出た青年。その日、怪しい行動をしていた者達が捜査の手をすり抜けるところがどうもはっきりしない。


そして、保険調査員が容疑者の弁護士達の補佐役として裁判に関わっていくくだりも…


この辺は事実の羅列。その理由もその成り行きも描かれていないので、なんだか消化不良。


結局、真相は藪の中で、スティーヴィの母親は容疑者達が本当の犯人なのか思い悩む。


それは、スティーヴィが肌身離さず持っていた宝物を家で見つけたから。


確かに彼が犯人なら、他の諸々の疑問も解消するけど…


実際の事件に、映画的な解決をして締めることが多い未解決事件の映画化。しかし、この作品は、ただ淡々と事の成り行きを追い、冤罪と疑わしき少年達の裁判終結で幕を閉じる。


だから、全編において、暗くて重い。


当然、スッキリとしない。


しかし、事実を事実として追う目で描かれた冷静な作りは圧巻。ある意味、問題提起として製作されたのではないかと思うのは、ラストシーンの後に流れる文章よる。


その後の事件の経過と容疑者の少年達の特殊な司法取引と現在の立場を伝え、主人公の1人である調査員は今も彼らの身分回復に尽力しており、もう1人の主人公であるスティーヴィの母親は今も真実を求めて活動していると。


その中で、スティーヴィ達を縛っていた靴紐にスティーヴィの継父の毛髪が付着していたこと、スティーヴィの継父のDVD鑑定について、警察はその提出を拒んでいることも記されている。


これは、明らかに「継父」の存在を知らしめる追記だ。


こんなことしたら、それこそ訴訟社会の槍玉じゃないのかと心配になった。


最後の文章までが映画の一部なんだと久々に感じる映画だった。そこにはなんの装飾もなく、映画同様、事実を冷静に伝える姿勢が貫かれている。