今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

カフェ・ド・フロール


ダラス・バイヤーズクラブ」の監督ジャン=マルク・バレさんの前作なんだそうだ。


「ダラス」が超現実の話だったのに、その前作がこんなファンタジーなんて‼


1969年と現代…


過去と現在を生きつ戻りつするストーリー。過去と現在の登場人物に全く繋がりはない…


ただ、現代の登場人物で2人の娘がいる男性DJとその愛人の風貌が、過去の登場人物であるダウン症の少年と少女に似てるのだ…


そして、物語が後半に差しかかった時、突然登場してくる「霊媒師」によって、私の感覚的に抱いた印象があながち間違っていなかったと知る。


っていうより、これは監督の作戦でしょ?


現代の物語は、学生時代に出会い、運命の人だと互いに認めあって、時を過ごした夫婦に突然危機が訪れる。


仕事で行き詰まった夫がパーティーで偶然出会った女性に運命を感じるのだ。妻は長年お互いを必要とし、夫以外に出会いの無かった関係にヒビなど入らないと思っていた。


ところが、夫はあっさりと「運命の人」を乗り換える。愛人となった女も、妻の理解を得たいとは思っても、男のことを諦めようとはしない。


こうして、離婚の痛手をいつまでも引きずる妻と家族にさえ理解されない自分の運命に追い詰められる夫が描かれる。


そして、ラストへのヒントになるのは、妻が何度も見る夢だ。いつも同じ夢で目が覚める。そこには見知らぬ少年がいる。


そして、過去の物語は、パリのあまり高級とは言えないアパートに住むシングルマザーと7歳のダウン症の息子によって語られる。


待望した赤ん坊はダウン症だった。夫は専門の施設に預けようと提案するが、まるで都合の悪いものは捨てるかのような態度に妻は1人で育てる決断をする。


健常児でさえ、小さな頃の子育ては大変だ。ましてや、感情のコントロールや能力に独特の形がある息子の世話は、彼女の心をかたくなにさせていく。


専門教育を受けられる学校を紹介されても、彼女は頑として受け付けない。


親だからこそ出来ること、普通学級だからこそ出来ることに彼女は強く執着していく。


でも、一生共に生きていくことは出来ないのだ。何もなくても、親の方が先に逝く。息子が1人でも生きていける道を見つけておかなくてはならないのも彼女の努めなはず。


そうしたギリギリのところにいたこの母子に大きな転換期がやってくる。


息子と同じダウン症の少女が編入してくるのだ。彼らは一目見て、互いの強い絆を感じ取る。


彼らは純粋だ。純粋な分、大人には気づくことが出来ない互いの運命を感じ取るのだ。


言葉より感情が先に走る2人は互いに抱きついて離れない。教師の対応も行き詰まり、親たちも困惑する。そして、同級生たちのからかいとイジメ。


専門教育の施設に預けて、彼らの思いを受け止めてくれる社会の中での成長を願う少女の両親と肩肘張って生きてきたシングルマザーとはその考えも相容れない。


これらの過去と現代の物語が交互に登場し、その2つの物語が大きく交錯する。


そこに「霊媒師」が登場するのだ。


正直、霊媒師でも登場しないことには、この2つの物語は上手く着地できなかったろう。


現代の夫、愛人、妻の3人は、前世で違う形で出会っていた。


前世での因縁があるから、彼らの現在の状況がいつまで経っても好転しないのだ…ということなんだよね、きっと。


そして、妻が前世で夫と愛人の仲を認めず、永遠に離れさせてしまった結果、今の不安定な生活に囚われてしまったのだと分かった時、彼女はそれまでの苦悩と決別する道を選ぶ。


私は、この結末、イヤ‼


結局、運命には抗えないと認めざるを得ない妻がとても気の毒だ。


私は「不倫」は絶対に許せない。どんな事情があってもだ。


互いに許しを乞うラストで妻と夫が抱き合い、妻は愛人をも認めて抱きしめる。


なんて、ファンタジーな結末‼こんなのあり得ない。


このラストの訪問で、私、妻は夫を殺しに来たのかと思った。そして、夫も苦悩から解放されるために妻の衝動を甘んじて受け、死んでいくものだと思ってた。


ところが、全く違うラストが待っていた。


暗く陰鬱な過去のパリの風景からは、想像すら出来ない明るい日差しの中での現代のラスト。


どうにも納得いかないし、「霊媒師」の登場で、なんだか簡単に着地点に話を収めちゃった気がする。謎解き部分をお手軽に済ませちゃってる感じ。


別にダメダメな映画だとは思わないし、着眼点とか面白いとは思うけど、「もし、生まれ変わったら…」なんておとぎ話の中だけで十分。