今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

燃えよ剣


元々読書は好きで、学生時代はカバンの中に絶えず文庫を持ち歩いてた。


でも結婚して、子供が出来て、とにかく毎日忙しい日々を送るようになると、文字を追うより映像を見る方が楽で、心の癒やしは文字を追うより昼寝に取って代わった。


それでも、何かのきっかけで取り憑かれたように本を読む時が何年かに1回やって来る!今がまさにその時なのだと。。。この度読んだのは、司馬遼太郎さん。「龍馬がゆく」以来だなぁ(汗)新選組副長・土方歳三の物語。


燃えよ剣(上・下)』司馬遼太郎 著(新潮文庫)


以下、感想。。。














これまで読んできた新選組関連の本は小説半分、評論半分。でも、司馬遼太郎さんの著作だから、「歴史小説」!


ただ、実在の人物を扱ってる関係で、登場した人のその後を追記したり、司馬遼太郎さん個人の感想なども語っている。


あくまで「小説」なので、評論分析などを読んだ後ではどうしても違和感を抱く。


京を捨て、江戸に参集し、流山で近藤を失い、北上を始める時、土方歳三は「会津を目指す」と立ち上がる。


でも、会津での闘いがほとんど描かれない。だから、新選組立ち上げの頃からの同志、斎藤一会津に残り、会津新選組として最後まで闘う場面は描かれず、なんと函館まで土方歳三と同行し、戦局の変化を感じ取った土方歳三に選別の金子を持たされ、江戸に戻ることになっている!


ある評論に新選組ブームのおかげで様々な資料が発掘され、今になって諸々の事実の判定が出来るようになったと書かれていた。隊士の名簿を頼りに彼らの残した文献が様々日の目を見たということだ。


司馬遼太郎さんが執筆した当時、それら後追いの検証ができる資料は僅かであったはずで、新選組検証の基礎となっている子母沢寛さんの新選組三部作も後世の検証によるとかなり曖昧な部分も多く、また数多くの当時を知る人を取材した結果とはいえ、証言する人の記憶も薄れ、記憶違いもあったようだ。


だから、今となっては本来の人物が登場する場面で違う人物が登場し、その後も違う人物の一生が追記されたりしている。


でも、小説だから、それで良いということだ。。。


私としては、上巻の前半の方が面白かった。バラガキとして地元で名を知られた土方歳三。働かず、兄の厄介になりながら、時折家業の薬を売り歩き、大柄で二枚目だった容姿を武器に女を泣かす。


身近にいたら、はた迷惑でイヤな存在だろうけど(笑)、窮屈な時代にあって、なんと自由に生きる人間かと。


それが、ふとしたきっかけで剣術道場の門を叩く。そこには1つ年上の近藤勇がいた。そこから、彼の人生は動き出す。


京に拠点を移して5年。たった5年。まさに嵐のように駆け抜け、多くの人に良くも悪くも強烈な印象を残して散っていく。


薩長政権に追い詰められ、関東から東北、果ては北海道までを戦場にし闘う旧幕府軍。その統領はとっくに彼らを裏切り、謹慎し、我関せずの姿勢を貫くのに。旧幕府軍の侍たちは時代の変化に追いつけず、これまでの安穏とした態勢を維持したいだけだったんだろうなぁ。そのための闘い。


結局、薩長という敵ではなく、時代の流れと強い者に寝返る意志薄弱の数々の藩に追い詰められたというべきか…


途中、司馬遼太郎さんの創作である女性が登場する。この人、確かに物語上では土方歳三の癒しにはなったろうが、ここに登場する意味はあるのか?「宮本武蔵」のお通さんみたい…あの人、いらない(笑)


戦乱の中、京都から大阪、果ては函館まで、女の一人旅はどう考えたって嘘くさいと感じてしまう。それとも、あの時代は土方歳三が頼めば彼女の盾になって身を守るほどの恩義を尽くす人がいたと?


ここがどうしてもダメだなぁ、私は…


土方歳三という人は近藤勇を失い、江戸から北上するに従い、輝きを増したように言われてるようだ。確かに京都の時代は新選組のコントロールが主たる仕事で、名前こそ広まりながらもあまり表に立つことも無かったのだろう。表に立つ人は他にいたし…


それを考えると下巻の方が面白いはずなんだけど、私には上巻のいよいよこれから彼の人生が動き出すってあたりの方が面白かった。


小説だから、評論や検証の本とは違う。でも、それらの史実を追う本を読む前に手にしてたら、もっと楽しめた気がする。


そして、この本の次に読むのは京極夏彦さんの「ヒトごろし」。今までにない土方歳三が主人公の「小説」だ。1080ページを超える分厚い単行本。これはいつ読み終えるか分からない(汗)次回、読書感想の記事はいつ書けるかな(笑)