たくさん、感想を書いたのに……間違って全て削除してしまった(涙)。立ち直れない……
雄大なガンジスの流れとそれに則したゆっくりとした時間の流れ。
都会の生活に追い立てられる人に少し立ち止まる勇気を与えてくれる。そこからホントの気持ちが見えてける。
ある日、夢を見たおじいちゃん。自分を呼ぶ声に走って行くとそこには幼い頃の自分がいる。声は母親の声だ。声のする方に走っていくが、誰もいない。どこにも誰もいない…
おじいちゃんはその夢ばかり見るようになった。それは自分の死期が近いことを示しているような気がする。そこで、家族の反対を押し切り、乗り合いタクシーと自転車タクシーを乗り継いで半日かかるガンジスのほとりの街へ向かう。
ここは解脱の街。泊まるところも「解脱の家」という看板がかかっている。ここで、14日間その時を待つ。この街は、最期を迎えるためにやって来るお年寄りとその人たちを送るのを生業にしている若者とで成り立っている。
最初はそこでの生活に戸惑うおじいちゃんもいつしか同じ目的の人たちと打ち解け、かつて教師をしていた文才で死亡記事を書くことを皆と約束する。
おじいちゃんが風邪で寝込んだ時、その時が来たかと都会から駆けつける息子の嫁と孫。すっかり元気になったおじいちゃんを見て、途中にしてきた仕事が気になり出す息子と家で暮らそうと促す嫁。孫はまた別な思いを抱く。
おじいちゃんの最期の地は、息子たち家族に新しい選択を迫ることになった。そして、最初は受け止められなかった選択をしっかりと受け止め、新しい朝を迎える。
1回間違って、削減してしまったので、もうこれ以上は…
でも、おじいちゃんが思いきったことで、孫は自分の道を進めたし、古い慣習に囚われていた息子夫婦もそれに歩み寄ろうと目を開いた。これからは新しい時代を迎えるのだ。
解脱の街の様子はなんともゆったりと時が流れているが、数多くの解脱を見送るためにそこで働く人々は見えないところで、大勢が動いていた。凄い街のシステム!
これは「文化」といえるものだろう。日本で言うと、昔の「姥捨て」の風習が思い出されるが、あれは貧しい暮らしを助けるための口減らしが目的だった。しかし、この解脱の街は、自分の死を自分らしく、自ら迎えるための準備をする場所なのだ。目的が違う。
それぞれの国に根付いた風習として、学ぶ映画だった。少しそうした土地の風習について予備知識があるとなおその世界に浸れたかもしれない。
なにより母なる大河、ガンジス河の大きな存在感とその役割に感じ入る映画だ。