今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

壬生義士伝(上・下)

熱烈な新選組ファンだという浅田次郎さん。以前、「地下鉄(メトロ)に乗って」という映画を観て、その原作を読もうと思って手にしたのが、浅田次郎さんの著作との出会い。。。


でも、ハマるほど面白かったワケでもなく、そのまま浅田次郎さんの作品とはご縁が無かった。


壬生義士伝」が映画化された時、主人公が中井貴一さんだと聞いて、少し年齢高過ぎないか?とは思ったけど、それだけ。。。


この度のにわか新選組熱のおかげで、ちゃんと読んでみようと。。。


壬生義士伝(上・下)』浅田次郎 著(文春文庫)


以下、感想。。。













いやぁ、泣かす、泣かす。泣けた、泣けた。小説を読んで、声を上げて泣いたのは本当に久しぶり。宮本輝さんの「骸骨ビルの庭」以来だ。


主人公は吉村貫一郎という監察方の新選組隊士。彼はこれまで読んだ小説の中でも登場するのはほんのわずか…ほとんど語られない小説の方が多いくらい。


その彼の出自、人が生きることを拒むほどの厳しい風土に根ざした南部藩。その背景が色濃い吉村貫一郎の生き様を浅田さんが脚色し、いかにもありそうな幕末の貧しき武士の一生を描き出している。


語り部というか、話の運び手は、新選組隊士・吉村貫一郎について取材をする記者のようだ。その人物の名は登場しないし、彼は一言も発しない。


取材に応じたのは、新選組に属し、戊辰の役を生き延びた元隊士たち。名の知れた隊士もいれば、神保町の居酒屋の主人は、函館の土方歳三の最期にも付き従った隊士だが、名を明かすことはない。


彼らの語る吉村貫一郎明治維新後50年を迎えた彼らの当時の記憶。語る人が変わる間に間に、戊辰の役の大阪城下で新選組本隊を離れ、南部藩蔵屋敷に辿り着いた貫一郎自身の語りが挿入される。


吉村貫一郎自身の思い。彼のそばにいた人々の思い。誰にも真似できない義を貫いた貫一郎の姿が、どれほど皆の心に深く突き刺さったか…


もう勘弁してくれ~ってくらい泣きました。


しかも、新選組隊士だけでなく、貫一郎の子供たちにまで話は繋がる。長男の嘉一郎は家族を養うために脱藩した父の「罪」を一身に背負い、武士の子であるのに農業に勤しみ、病弱な母と小さな妹、弟を支える。


命を賭けて手にした金をほとんど全て家族に送金してしまう貫一郎のその暮らしぶりは、浪士を成敗する毎に大きな実入りがあり、その場で使ってしまう他の隊士たちとは雲泥の差があり、なぜ彼がそこまで徹底して家族を守ろうとするのか理解できない。


貫一郎の送金した金は、彼の脱藩後家族が身を寄せた妻の実家に届くのだが、それこそ土さえも口に運ぶほどの飢饉に喘ぐ近隣にあって、不毛の土地ながら、近隣の5軒だけは誰も欠けることなく生き延びたのは、どうしたことか…文字にこそされないが、貫一郎は家族だけでなく、身を寄せた村の人々さえも生かしたのだ。それを思うとなぜ彼だけがこんなことになるのかと涙が止まらなくなる。


頭が良く、剣に長けた下級武士。だからこそ、彼の技量だけで金を手にできた。だから、家族を置いて脱藩した…なんだ、これ。なんでここまで抱え込まなきゃならないのか…家族の世話をかけるから、実家の住まう集落毎引き受ける。そうすれば、家族が守られる。そういう発想で、受ける側もそのつもりなんだ…


そんな父の代わりに家族を支える長男の嘉一郎は、その場所で出来ることに精を出す。姿が父とよく似た嘉一郎。南部藩が、義を通さない裏切り者・秋田に攻めることを決めた時、彼は父と同じように刀を持って立ち上がる。


薩長は言うに及ばず、秋田や新選組や旧幕軍の北上に絡み、義を捨てた諸藩の裏切り。こんなヤツらがその後の日本を作った。戊辰の役で生き残り、蟄居、謹慎した幕臣たちがその後の人生を静かに生きるのではなく、華々しく表舞台に駆け上っていく理不尽。


どれほど浅ましいか。。。


吉村貫一郎の人生がそれを糾弾してるかのようだけど、でも、彼はそんなこと考えないのだろう。ただ、ただ、家族を養うこと、それだけが彼の望みだったのだから。。。


しばらく、本を読むことが出来ないほどに打ちのめされた…京極夏彦さんの「ヒトごろし」を読了した後と同じようなぐったり感…(汗)