今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

輪違屋糸里(上・下)


この度映画化されてそろそろ公開も近いと思われる浅田新選組三部作の2作目。


「壬生義史伝」が尋常じゃなく涙を誘う傑作だったので、かなり期待値は高かった!


輪違屋糸里(上・下)』浅田次郎 著(文春文庫)


以下、感想。。。
















新選組の物語でありながら、タイトルが置屋さんのお姉ちゃんの名前っていう(汗)。。。


でも、前作が前作なので、かなり期待値が高くって、ただ前作は読み終わってグッタリしたから、今回もそれじゃあ、シャレにならないと思ったのね(笑)…でも、それは要らぬ心配でした!


女性の視点になる小説はどうしてこんなにつまらないのかねぇ…新選組の登場、いや、京都に不逞浪士が蔓延するに至り、それを押さえるための浪士組の登場に壬生の人々はいきなり振り回され始める。


男たちはなんのかんの理由をつけ、面倒なことは女房に任せて自分の仕事に勤しんでしまう。屯所として自宅を提供した八木家や前川家には新選組の面々が暮らすのだ。留守を任された女房殿の大変さはいかばかりか…


その女性達から見た新選組の面々の本性が語られる。


そして、新選組の日常に島原という遊郭が登場し、様々な出来事の舞台となる。


そこに住まう芸妓の糸里と吉栄の目を通しても新選組が語られる。なかでも、糸里は土方歳三に思いを寄せている。


島原芸妓の世界については理解が全く及ばないので、時代劇で見る吉原花魁くらいの感覚で考えると、土方歳三が昼日中、お昼ご飯の誘いをしたり、ちょっとお出かけするために声をかけたりするとホイホイと出て歩ける芸妓ってアリなの?って思ってしまう。


当時はまだ新選組もそれほど名を為していなかったろうし、ましてや土方歳三も鬼の副長にもなってなかったろうからねぇ。


女性の視点になると何が苦手かと言うと、まず、人の見極めが感情的になるということ。そこは浅田次郎さんは凄いよね。まさに女の感覚で新選組の面々を値踏みするのだから…でも、それは私的にはつまらないのね。


ある人のとある一面をちらりと覗いただけで、その人の全てを見切ったような判断をし、そこからあれこれ推察しては、物事を断じていく。そして、自分の予想通りに事が運ばないとそれは自分の見定めが間違ったとは思わず、他に何か原因があって、別な結果に至ったのだろうと…まさに女性の視点…


下巻の後半部分。いよいよこの小説のクライマックス。芹澤鴨粛清の場面。八木家の女房は敢えて芹澤たちと襖1枚隔てた部屋に子供と共に床につく。この「敢えて」は無いよね…仮にも何かありそうだと不穏な空気を嗅ぎ取っていたなら、大事な子供をそんなところに寝かすなんて母親として考えられない。


小説中にあるように「私たちはここに寝てますよ、それなのにあなたたちは凶行に及ぶのか、やれるものならやってみなさい…」なんて、自分の大事な子供をそんな賭けに道連れにするかしら。また、八木家の女房はそんな肝の据わった女には感じられなかった。ここはちょっとね。


さらに、全ての事が収まった時、会津のお殿様が新選組と糸里を労う場面。小説とは言え、いくら芹澤鴨粛清を指示したとしても、1つの戦闘グループ内の事案に際して、お殿様が堂々と労うのかねぇ。それはまぁそんな事もあるかもねと百歩譲ったとして、その場で、たとえ五位の位を与えられる芸妓だった(いや、まだその立場ではないね…)としても、お殿様に自分の意見を言えるのかねぇ。


なんだか、この辺はファンタジーだなぁ。小説だから、何があっても可笑しくはないし、仕方ないのかもしれないけど、最後の最後で急に単なる物語になっちゃって。どんだけ偉いんだよ、糸里って!と思ってしまった(汗)


土方歳三は、最後まで嫌なヤツとして描かれている。近藤さんや芹澤鴨は口下手だとか、他の隊士も言葉が上手く使えないとか、女たちはそんな風に捉え、少しばかりひいき目に受け止めているが、その反面、土方に対してはどこまでも怜悧に物事を立て分けて考えて、人の情など与り知らぬ男と受け止められている。


女だけでなく、新選組の隊士たちにも同じように受け止められている。そんな彼はラストで糸里と別れる時になって、初めて本心を吐露する。上手く自分の思いを形に出来なかった1番の男は土方歳三だったというオチ…


こんな感じで、結局、最後まで糸里の像が浮かばなかった。大好きな土方歳三に啖呵切るしっかりした女、糸里。子供の頃から仲が良かった吉栄のために自らの幸せを捨てた糸里。どれほど慟哭したのか。殺されても構わないと心に決め、好きな男の企みに与しながら、最後には男でなく、同僚の女を取った糸里。全てを投げ打って幸せを選ぶ道もあったし、男は最後まで本心を見せず、その道を選ぶためのお膳立てをしたにもかかわらず…


そこまでの苦しい選択をしたはずの糸里の像が全く浮かばない。これは残念。結局、糸里のおかげで土方歳三は誰もが知る幕末の英傑の1人として、その後の道を生きたと思わせたいのは分かるけど…


それほど凄いお姉ちゃんには思えなかったなぁ…残念。。。


あの時代、全ては男中心の社会で、男はあれこれ語らず、女はその姿、振る舞いから全てを察知し、行動しようとした…という背景を作った上で、行き違う男女の思いを描いたのかねぇ。。。


そもそも、土方歳三と糸里の出会いは最終盤で描かれていて、そこから、何かと土方歳三に呼ばれた行は全くスルーだから、2人の関係性がよく分からない。だから、自分の想像で土方の思いを推し量って行動したと言いたいのかなぁ…


そうそう、ちょうど読み終わる頃、映画の完成と挨拶があったらしいが、土方歳三溝端淳平だよ!別に彼がダメな役者だと言ってるわけじゃないよ。ちゃんと演じられる人だとは思ってるけど…


日頃、浅田次郎さんは幕末当時の年齢は現在の年齢の10年ほど年嵩になると言う意味の持論を述べてらっしゃったと思う。それほど、当時は人間がしっかりとしていたわけで…ほぼ、役と同じ年齢の役者に演じきれるのか?って疑問は感じなかったのだろうか…原作者はあれこれ言えないのかもね…


そして、糸里も若い女優さんだった。ちょっと無理がなかろうか…