今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

パンダのシャンシャン

f:id:zatsukun:20190209162356j:plain10月下旬に上野動物園を訪れて以来、なんのかんのと時間が取れず、ネットでその姿を追うだけになってしまっていた。


実はその間に上野動物園からとっても重要、かつ重大なお知らせがあった。


本来、パンダという生き物は家族で暮らしたり、群れをなしたりする習性はなく、たとえ子を為したつがいであっても共に暮らすことはないそうだ。


だから、パンダの野生での繁殖は難しい。それこそ、東京ドーム何十個何百個分の広大な山林地帯でそれぞれの縄張りを決めてエサを求めながら暮らす単体のパンダが、歩く道を間違って、運命の出会いでもしないかぎり、繁殖のお相手には出会わないのだ。だから、人の手で出会いを作ってあげる。


しかし、そうした努力の末、赤ちゃんパンダが生まれても、単体で暮らすパンダの習性は1ミリも変化なく、オスのパンダは自分の生活を送る。


メスのお母さんパンダだけが子育てにかかわり、抱きかかえて母乳を与える。最初は上手くウンチも出来ない赤ちゃんパンダのお尻を刺激したり、体を綺麗に保つために全身の毛を舐める。


こうした母性のなせる技は、野生で母親に育てられたメスのパンダには自然に受け継がれるらしいが、早くから母親と離れ、人間の手で育てられたパンダにはそれがない。人間の管理下でたとえ子を為しても、子育てをしない母親になってしまう。これでは、繁殖どころでない。


そこで、世界の繁殖に関係する機関は生まれてある一定の期間、人間の側はあくまでもサポートするだけに止め、母親と子で生活する時間を取るようになったそうだ。


それが、子供の誕生から2年をリミットとする期間。過日、中国のパンダ繁殖センターでの日常をテレビで見る機会があったが、そちらでは個体数の多さから赤ちゃんパンダは1歳のお誕生日をメドに母親から離されていた。。。


赤ちゃんパンダは、生まれて1年半ほどになるとしっかりと笹や竹を食事として摂ることが出来るようになる。それまでは、授乳や排泄の世話まで気を回していた母親の方も少しずつ自分の生活に比重を置くようになる。


そして、2年が経つ頃になると突然、母親は自分の縄張りを荒らすものとして、子を見るようになるのだそうだ。


場合によっては攻撃することもあり、まだ成獣には遠い小さな子供は重大なケガを負うこともあるらしい。


その突然やって来る日に備え、シャンシャンの独り立ちが計画された。分かってはいたけれど、母親のシンシンの後を追い、食事に集中する彼女の邪魔をしては追い払われたり、時には母親の側に来て、ただゆっくりと過ごしたり、そんな母子の姿がなんとも言えず、癒しになっていた人にとっては、なんと表現して良いか分からない心持ちとなっただろう。


私でさえ、とうとうやって来るその日がシャンシャンの成長の証として嬉しい反面、これまでの姿が見られなくなる寂しい思いも感じてるのだ。


そして、動物園の予定したスケジュール通りに母子分離の取り組みは進められ、今週からシャンシャンは母親シンシンと顔を合わすことのない生活に入った。


結局、独り立ちプロジェクトの最中には1度も園に行かれなかった。独り立ちが発表された直後から、パンダ観覧の待ち時間が激増した。


それまで、1歳の誕生日直後を除き、私は40分程度の待ち時間の時しか行ったことがなかった。だから、150分、180分、240分…という待ち時間を知るととても出かけることが出来なかった。パンダ一家に会いたくて頑張って待つことは出来ても、まず生活の中でそんなに時間が取れない…


残念だけど、仕方ない。。。


なんとか時間のやり繰りをして、動物園に駆け付けた人たちのSNSの画像を見て楽しませてもらった。


これからは、子育てを一段落したシンシンと壁1つ向こうのお庭で飄々と淡々とこの1年半を過ごしてきた父親リーリーとの繁殖プロジェクトが動き出す。


立派に独り立ちして、パンダ会議の人たちにカッコいいお婿さんを見つけてもらって、シンシンのように肝っ玉母さんに成長したシャンシャンを見てみたい気もする。


余談ながら…


自分が子育てしてきた経験から思うことは、やはり自分が育てられたように子育てをするということ。無我夢中で子育てをしてる時には気づかなかったけれど、自分が母親に言われた同じ事を子どもたちに言ってることに気づいた時は笑ってしまった。


ツラい子供時代を送ってきたのになぜ?という事件を耳にすることがあるが、やはりそれはそれ以外知らないからなのだと思ったことがある。


でも、そうじゃない。


ツラい思いをしてきたかもしれない。その中を本当によく頑張った。だけど、自分がツラかったことは誰しもがツラく感じるんだ。だから、子にはそんな思いはさせない。そう踏みとどまって、新しい自分を子供と共に生きてみよう。


そうやって、手を差し伸べてくれる人が側にいるかどうかで全く違う道に進めるのだと思う。


お母さんのシンシンはパンダ保護センターでの生まれだが、そのお母さんは確か野生のパンダちゃんだ。厳しい自然の中で母親に育てられた記憶はお母さんにもきっとあったに違いない。それがシンシンの肝っ玉母さんぶりに受け継がれてるのかもしれない。


きっと、シンシンの子育てがシャンシャンに受け継がれる。生きるということは凄いことなんだとあらためて思う。


あぁ、パンダちゃんの話がなんだか別な方に行っちゃった。今月中に1回上野動物園に行きたいなぁ。。。