今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

新選組裏表(うらうえ)録 地虫鳴く


昨年10月からずっと続いてる新選組関連本の読書。何事も三日坊主で長続きしない私がそろそろ半年になろうかと言うのに、未だに新選組関連の書籍を読み続けている。


そして、半年前この熱を私に与えたのは本書の著者である木内昇さんの「新選組 幕末の青嵐」だった。ちょうどあれから6ヶ月というキリの良いところで、また木内さんの本に行き当った。


新選組裏表録 地虫鳴く」木内 昇 著(集英社文庫)


以下、感想。。。














「幕末の青嵐」との違いは、視点の違い。主な語り部というか視点になるのは、後に高台寺党として新選組から分離する阿部十郎と篠原泰之進、そして新選組の監察として会津まで参戦した尾形俊太郎。


ある意味、ちょっとメジャーでは無いところの隊士を主人公に新選組の面々とのやり取りを描く。


前作同様、こちらも面白かった。伊東甲子太郎が惨殺された場面は敢えて描かず、その前後は篠原泰之進や阿部十郎の視点で語られる。確かに近藤の妾宅に単身乗り込んだ伊東甲子太郎が何を見、何を語ったか、篠原にも阿部にも分からないのだから、彼らの視点で語る以上、語るものは何も無いということになる。


こうした、敢えての部分がテンポを与えてるように思うのだ。篠原にも阿部にも尾形にも蝦夷地の新選組は分からない。。。だから、物語はそこまで。


確かに面白かったし、木内さん凄いなって、他の時代小説も読みたいなと思わせてくれる作家さんだと感動したのだが、やっぱり私は高台寺党、嫌い!


特に篠原と阿部は好きになれない。それは今まで読んだ史談や新選組評論などからずっと感じてたこと。本作は、彼らにも彼らなりの思いや言い分があったのだと感じ取れなくはないが、人物として魅力が無い。実在し、明治以降も生きた人だから、あまり言いたくはないが、勝ち組に乗って、生き残っただけじゃないかとしか思えない。


あの時代、自分の信念を強く貫こうとした人には後の人生は与えられなかったのだなぁと思う。何も新選組に限ったことでなく。世の中枢、薩長に与した人間にしか…。だって、薩長が正義なんだから。上っ面だけなのか、真に国の行く末を案じたのか、新政府に与した人間にしか生き場所は与えられなかったと。。。


阿部十郎も篠原泰之進もあくまでも、本作に登場する小説上の人物としての感想だから、誤解無きよう。。。


伊東甲子太郎と言う人がどれほどの人か知らないけど、ちゃんと世を見通せる人なら最初から新選組には入隊しなかったように思うけど。それを仲間一切を引き連れて、新選組に入るんだから。そして、思うように行かないからって分離するとは、いったいどんな人なのかなって。


函館政府が降伏し、幕軍側の人たちが捕縛された後。伊東甲子太郎を斬った罪で大石鍬次郎と横倉甚五郎が処刑されたと聞いたけど。なんで今さらっていう新選組への報復だよなぁ。


これで、高台寺党の面々は溜飲を下げってことか?まぁ、これにも新政府のいろんな「裏」があるんだろう。結局、最後まで高台寺党薩長に利用されたと。この小説を読むとそんな風に読めちゃうなぁ。150年経っても、未だそれぞれに忘れがたい国の思いを受け継いでる。


高台寺党の話は基本的に好きじゃないという思いが働いて、小説として淡々と読んだだけで、あまり楽しくはなかったけど、尾形俊太郎の視点に立つ、新選組は面白かった。


土方歳三という人は、ホントに頭が良く、カッコ良かったのか!と。誰が書いても、視点が違っても生き様がカッコいいのだから、それがホントなんだろう。幕末でなければ、彼が世に出ることは無かったのだと思うとまさにあの時代の申し子なんだろう。


坂本龍馬だって、貧しい家の子とはいえ、武士の端くれ。守られる側の人間だ。それを農家のガキ大将が2人して荒波を分け入った。多分、あんまりいろんな事考えてなかったんじゃないのかねぇ(汗)。全部、勢い!


そう思うといつも伊東甲子太郎は楽して何を得ようとしたのかと思ってしまう。自分では何も開拓せず、人の領分を冒して、それを足場にしようとしたんだから。


木内さんが書く「土方歳三」を読んでみたいな。全体の中に位置する土方でなく、彼を足場にした小説を。