今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

一刀斎夢録(上・下)


浅田次郎新選組3部作の完結編。まだ、これから新たな新選組ワールドを期待はしてるけど、ひとまず今の段階では完結編。


様々な記録の中にほんの数行登場する監察方の吉村貫一郎を主人公にした「壬生義士伝」、壬生に拠を構えた新選組芹澤鴨粛清に至るまでの一時期を女性の目線で追った「輪違屋糸里」。これだって、遊女の糸里の記述などほんのわずかなものからの創作だ。


ところが、本作は数々の修羅場をくぐり抜け、維新後も命を繋ぎ、新選組発足当時からの生き残りであった三番組隊長・斎藤一の過去語りだ。さて、どんな物語が聞けるだろう!


『一刀斎夢録(上・下)』浅田次郎 著(文春文庫)


以下、感想。。。















歴史小説の難しさは、なんと言っても史実との整合性だ。新選組が活躍したのは、江戸時代のホントに最後の最後。今から150年前のこと。源平の時代や戦国時代に比べれば、つい最近の事だ。最近の事だから、詳しく分かってるのかと思ったら、現実はその逆で、研究が進んでこそ分かってくること、発見される資料もあるらしい。


早い時期に書かれた小説は、微妙に史実と違う「事実」が描かれていたりする。だから、表記の少ない吉村貫一郎や糸里が主人公であれば、作者の創作の舞台も広がってくる。


だけど、本作は違う。


新選組にとっては端から明確な意思をもって、維新政府側に弓を引いた訳ではなく、時代の流れの中で最初についた幕府の側に最後まで自分を留め置いたということなのだが、結果としては「敗者」であることには違いない。


今や、歴史とは「勝者」が語る歴史であると、皆が知っている。


多くを語らず、敵とはいえ、互いを認める侍の時代を生き抜いた人間が、「敗者」として扱われた後にあれこれ語るとは思えず、斎藤一に関してはそう資料も多くはないだろう。


そこが創作の余地を生んだのかもしれない。


ただ、正直に言えば、肝心なところが語られてないなという印象は拭えないかな。。。出来事を追うのではなく、斎藤一という主人公に新選組の生きた時代への思いを語らせているような…


壬生義士伝」と同じようなパワーに圧倒された感じの読後感はなかったなぁ。


会津藩に関わる末裔たちは、未だに薩摩や長州への恨みが心根の奥にわだかまっているらしいことは様々な場面で語られている。


戊辰の役を生き抜き、西南の役にも出兵した斎藤一は、そうした今に続く思いも語らなければならず、新選組の時代だけで良かった前2作とはそもそも立ち位置が違った。


これからの日本の剣道界を背負って立つであろう陸軍将校の梶原に伝えたかったのは、自分が育てた達人の最後だったのかもしれない。剣の道に生きることの、理不尽というか定めというか…


その達人は市村鉄之助…まだ幼年の少年を死なせるのは忍びなく、土方歳三が自分の遺志を届ける使いとして、蝦夷地を脱出させた。今に伝える土方歳三の洋装の写真を佐藤家に届けた人物として知られているが、果たして彼の出自や佐藤家を離れた後のことはほとんど語られていない。


だからこそ、語る余地があった。今のように情報に溢れた時代ではない。敗者として、明治の世を迎えた人々がすぐに、自分の来し方を話すはずはなく、また、急速に変わっていく世の変化もそれほど早く伝わってはいかなかったろうから、自分の信じた道を語るチャンスも無いまま人生を閉じた人も多かったろう。


自分が何を信じ、何を糧に生きてきたかを言葉にできない時代。それほどの混乱の時代があった。すぐそこに…だから、もう少し知りたいと思った。


ただ、作品本体に対しては、一剣士の語りとして聞くには良いが、斎藤一という新選組の生え抜きの話を聞くと思うともう少し新選組の話も聞いてみたい気はしたかな…まぁ、本体の話は史実にがんじがらめだから無理か。。。