今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

余命3年 社長の夢 「見えない橋」から「見える橋」へ


たまたま何かを探して、ネット検索していた時に行き当たった書籍。タイトルに惹かれ、簡単な紹介文から、筆者は刑務所で刑期を全うした人たちを自分の会社で積極的に採用していることを知る。


本の内容より、その社長がどんな人なのかに興味を引かれ、図書館に新刊申込みをして読めることになった。


「余命3年 社長の夢 『見えない橋』から『見える橋』へ」北洋建設株式会社代表取締役 小澤輝真 著(あさ出版)


以下、感想。。。













タイトルの「余命3年」の意味が冒頭に記される。読むまでは、筆者が急な病に倒れ、余命3年と告知されたものと思っていた。ところが、実際はもっと厳しく残酷な現実が彼にもたらされたと知る。


父方の親族に遺伝的な病が発症している。それは必ず発症するワケではない。ところが、発症すれば間違いなく数年後、死に至る。そして、発症せずに生き抜くことができれば、その遺伝の連鎖をその当人が断ち切ることになり、以後、その人に連なる人々にその病は発症しない。


筆者の父親がその病気で亡くなった。それは父親が病の遺伝の連鎖を断ち切れなかったということ。つまり、筆者はその役目を父親から引き継ぐことになる。さらに、彼は父が興した建設会社をも引き継ぐ。


父は、建設バブルの時代に仕事を大きくするため、喉から手が出るほど人手を欲した。そこで、目に留まったのが家の近所にあった刑務所だった。前科があるとどうしても雇う方も躊躇する。雇われる方もそれが分かっているから、仕事を立ち直るきっかけにしたくても、前科を隠して職を探す。それが悪い方へ連鎖して、職を得られず、再び犯罪に手を染める。


出所後の再犯率の高さ、それは仕事が無いからだと筆者は考える。だから、本人の再生へのやる気と覚悟を何度も何度も手紙をやり取りしたり、直接会って、確かめる。そうして、会社に迎えても、離職率は8割にもなる。それでも、世間一般より低い数字だそうだ。


刑期を終えた元犯罪者を積極的に雇い入れていた父親の代から、彼らの処遇には心を砕いてきた。とても常識的とは言えない破天荒な父親だったが、彼らに対しては真摯に誠実に「社員は家族」という姿勢で接してきた。それは母親も同じ。飯炊きおばさんとして、食事と現場への弁当を全てその手で用意してきた。


それを見て育った筆者だ。両親が残した北洋建設の伝統と、父親の残した借金を背負い、一つ一つ道を開いてきた。


そんな筆者に過酷な現実が突きつけられる。病気の発症だ。その時、医師からは「余命10年」と告げられる。自分の発症が何を意味するか。


まず第一に、いつか分からない遠い将来の「死」ではなく、確実に残りの日々を数えながらのこれからの人生になること。そして、彼が遺伝の連鎖を止められなかったこと。これは、この病の決着を自分の子供たちに先送りにしたということ。


1ヶ月、彼は煩悶する。これからの自分のこと、家族のこと、会社のこと。どれほど苦しかったか。想像を絶するとはこういうことを言うんだろう。私にはとても考えが及ばない。筆者当人は確かに大いに悩み苦しんだようだが、しかし、持ち前の前向きな心で、立ち上がる。そして、出来ることを出来るうちにと前進していく。


「余命10年」と言われてから7年。まだまだ道半ばと筆者は思っているが、小さな一歩無くして、大きな前進はあり得ない。いつ来るか分からない近い将来の現実から目を背けず、駆け抜けてきた日々。「余命3年」となった今、しっかりと自分で伝えられるうちに自分の思いと覚悟をこうして発表したんだと思う。。。


感想云々より、とにかく、筆者の覚悟に圧倒される。是非とも多くの人に読んでもらいたい。