今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ジョーカー


先日、アメコミ映画として初めて3大映画祭でグランプリを獲ったと話題になった本作。公開初日に劇場へ、夜だけど(汗)。


物語はジョーカーがジョーカーになるまでの哀しいエピソード。バットマンとの対決ばかりがジョーカーではなく、彼にもそこに至るまでの…という前日譚。


試写を観た人たちから既に「傑作」との呼び声高く、期待値MAXで行ったのがダメだったのか、ストーリー的には思いきり既視感があるというか……いわゆるダーク・サイド堕ち映画だった。


シリーズ物特有の、もしかしたら正義の主役と手を携えることも出来たかもしれない善人がまわりの侮蔑や誤解に押し潰され、ダーク・サイドに堕ちていく様をジョーカー版として描いた映画だったわけだ。


ヒース・レジャーがその圧倒的な存在感で演じたジョーカー。私の受けた印象として、本作のジョーカーがそのまま、あの「ダークナイト」のジョーカーに繋がっていかない。


まだ、自身の不遇さへの怒りの爆発の対象が自分に関わりのある範囲に限られている。社会への不満が爆発寸前の世間の人々がピエロのマスクを被って、彼をヒーローのように讃えてもそれは彼に直結していない。


映画として、今回のジョーカーの続編は作らないと監督が明言してるらしいが、バットマンと闘うジョーカーとはまだ距離があるというか…ジョーカーの生きる先にバットマンは必ず立ちはだかるわけで、そこに続いてく未来が本作にはまだ見えないというのかなぁ。。。「バットマン」とは全く関係のない「ジョーカー」だと監督が言ってるらしいので、本作は本作で十分成立していれば、それでOKなんだとは思うけど。


劇中、少年時代のブルース・ウェインが登場し、彼が天涯孤独になるシーンが差し込まれるが、こうしてジョーカーとブルース・ウェインの関係を描くなら、なおさら、ジョーカーへの出発点だけでなく、ジョーカーへの到達点まで観たいなぁ。


ホアキン・フェニックスが見事な演技でジョーカーを演じきっただけに、これで終わりは残念だな。


ヒース・レジャー……彼の鬼気迫る演技。本物なんじゃないかと思うほど。ジョーカーという役は俳優にとって、その実力をさらに高みに引き上げる役なのかと思う。最近のホアキン・フェニックスは出演作での演技がどれも素晴らしい。ぜひ、彼のジョーカーで「バットマン」を観たいと思う。


人は、誰もが必死に生きている。生まれた国、場所、家庭、様々環境の違いはあれど、必死に生きようとしている。けれど時として、生まれ育った環境が人の人生に大きな影を落とすことがある。貧困、侮蔑などによる差別を受けることで、自分では抗いようのない状況に追い込まれていく。


せめて、自分を理解してくれる人に出会えたら……理解を分かち合えない孤独。差別を受けることで、さらに孤独さは増していく。孤独は心の隅にある小さな怒りを大きく膨らませてしまう。


哀しい映画だった。ジョーカーの怒りは痛いほど分かるけど、けして共感できない、ツラい映画だった。


この映画は、世の中にはどんなに善人で真面目な人間でも簡単に一線を踏み越えてしまう瞬間が多く転がっているのだということも伝えている。恐ろしい映画なのだ。