今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

決算!忠臣蔵


忠臣蔵」の前に「決算」と付くタイトル。つまりは華やかなりし仇討ち、忠臣蔵の討ち入りを支えた金勘定のお話。


新選組の関連本を読むようになり、まぁ、江戸時代の人たちは金勘定がどんぶりだと痛感せずにはいられないが、その新選組でも勘定方としての役向きが金の出納記録を残している。


政治の表に立つ武士のうち、実際に現場に出る「番方(この呼び方はこの映画で知った…汗)」は、自分たちのやる事にどれほど金がかかるかなど知ったことではない。面目が立ち、武士として恥ずかしくない「立派な」振舞いが出来るのが1番で、なにより彼らの一分が立てば良い。だから、自分の命惜しさに逃げるものは許さなれない。そもそも、この人達、「命」をなんだと思ってるのかさえ疑問に思う。まぁ、そういう時代にそういう思想の下で育てられた人達なのだ。


しかし、それを支える役方(いわゆる事務方…突き詰めれば、財務一切丸投げされる人達…)はそうもいかない。彼らの金勘定が藩の行く末を左右するのだ。この映画はそうした役方の視点から見た忠臣蔵を描いたもの。


前線で命を張る武士が尊くて、同じ武士でも金勘定を主な役割とする者は軽んじられる。それは昔からそうだったのだ。豊臣治世での事務方の筆頭、石田三成と同じ小姓上がりの福島正則との確執はまさにそれで、福島たちが何を考えることもなく戦いに邁進できたのは誰のおかげかということだ。


この映画もその確執、考えの違いが大きなポイントで、しかし、最終的に大石内蔵助が金勘定をする役方の仕事を理解した上で事をすすめるに至ったのは、算盤勘定をする役方の中に大石と同い年の竹馬の友、矢頭がいたからだ。彼と大石は身分の違いは大きく、成長してから与えられる役職も雲泥の差があったが、幼い頃共に遊んだ記憶が大石の理解を呼んだ。


この辺り、「寅さん」や「水戸黄門」「大岡越前」など予定調和な物語が大好きな日本人の心をおおいに揺さぶったりする(笑)。確かに安心して観ていられるのだ。


しかし、討ち入り当日の様子は一切スクリーンに登場せず、そこに至るまでの役方側の金の苦労と番方側を主点として「武士」の金の使い方の呆れ具合に主眼を置いた作りなので、もう少し笑えても良かったかなと思う。


多くの人を泣かせてきた赤穂浪士討ち入りを笑いのネタにするのはなかなかの冒険ではあるけれど、中途半端に面白いとこがあるだけでは突き抜けていかないかなぁ。


視点、着眼点はとっても良いのに。結局、最終的な終着点、泣かせる敵討ちに帰結しないといけないからね。


とにかく豪華な出演陣。ちょっともったいないくらい(笑)。いや、相当もったいない。妻夫木くんなど途中一切出てこない。


日本の映画も変わってきたのかなぁ。あまり見たこともない俳優が犯人役を演じる時代は終わり、ポイントになる役はたとえ出番は少なくとも名のある役者、演じられる役者を登場させる。だから、「豪華キャスト」と宣伝される作品が増えている。


石原さとみさんなんて、結構出てたのに赤穂浪士たちとの接点はほぼ無い。大石とのシーンが1度きり。同じ物語を構成しながら、明らかに別撮りで編集したという形。だからこそ、スケジュール調整の難しい役者たちを豪華に使えるのだろうけど。


最後に石原さとみさん、声に特徴がないのか、ナレーションはあまり……声から顔が想像しにくいのもナレーションの1つのポイントかもしれないけれど、あまりに特徴が無さすぎて、今一つだったかな(汗)。