村松友視さんと言えば、「時代屋の女房」だ。というか、それしか知らない(汗)。大変にヒットした小説は映画化され、まだ元気だった夏目雅子さんが、その女房を演じた。キラキラと若さが輝く美しい女房だった。
小説より映画の夏目雅子さんの印象しか残っていない申し訳ないかぎりの私…さて、私が大好きな土方歳三を村松さんはどう捉えているのだろう。
以下、感想。。。
「土方歳三への旅」というサブタイトルの通り、小説で土方歳三を描くのではなく、雑誌の連載に端を発した紀行文だ。江戸で浪士組の徴募に応じて、京都へ、戊辰の役で最期の場所となる蝦夷地までの土方歳三の歩みを追う。
確かに150年前(執筆当時はもう少し、140年前くらいかな?)、土方歳三が足跡を残した場所を巡り、彼が吹かれたのと同じ風を感じる旅なのだ。
しかし、なぜか、世間には土方歳三好きの人が多い。これは彼が最後の武士として蝦夷地で散ったからか。村松さんの文章にもその思いが見え隠れする。
かの坂本龍馬だって、明治初期には既に過去の人として、人々の記憶から忘れられていたと聞く。新政府で薩長に遅れを取った感のある旧土佐藩の官吏が、当時に皇室に入っていた土佐の姫様の夢枕に坂本龍馬が立って、今の世を嘆いたというエピソードを披歴したことから彼がにわかにクローズアップされたのだと、どこかで聞いたことがある。
土方歳三もそうだろう。幕末の騒乱の中で確かにその存在感を示した彼だが、敗残の将だ。自分に都合の悪いことには蓋をする新政府にとっては邪魔者でしかない。新政府が彼らの正しい記録を残すことなど無いだろう。
それでも、当時をドラマ化、映画化するに当たっては、新選組ほど悪役にしやすい存在もなかったろう。そこで、少しずつ挽回の余地が与えられ、司馬遼さんの「燃えよ剣」でブレイクするわけだ!
今となっては、最後の最後まで幕府の恩顧に報いようと女子供までが武器を取り、藩まるごと取り潰された会津と崩れ行く幕府のために最後まで義を通した新選組の方が圧倒的に人の心情に訴えてくるのだから…
新選組研究はまだ始まったばかりと言えなくもない。しかも、土方歳三好きがそこかしこにいるわけだから、もっといろんなエピソードを聞く機会もあるかもしれない。
29歳で京都に旅立ち、蝦夷地で没したのは35歳。わずか6年。それでも、彼の6年は凄まじいほど濃密な時間だったろう。
今の情報化時代にあっての6年とは明らかに違う時の流れの中で、武士でもない人間が名を馳せることの奇跡に、ただただ恐れ入る。
私も行ってみたいなぁ、土方歳三への旅。でも、高幡不動でさえ遠いよなぁとため息のでる東京都民じゃ、その先は望めないな(笑)。