今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

幕末新選組


暑い暑い毎日、とても本を開く気にもなれない…外出時の時間潰しに持ち歩いていた本を詠み終わった。


「幕末新選組池波正太郎 著(新潮文庫)


以下、感想。。。















コロナ感染症防止のためにテレビドラマは大幅に変更、縮小がなされ、本来なら8月には「雲霧仁左衛門」の新シリーズが始まっていたはず。それに合わせて、これまでのシリーズがBSにて再放送された。ドラマとしても面白いが、これは原作も…と期待させる。


で、「雲霧仁左衛門」の原作小説を手に入れたのだが、分厚い上下本でちょっと…


そして、本棚に並べておいた、まだ読んでない新選組小説を見たら、同じ池波正太郎さんの著作があるじゃないか!分厚さは同じくらいだが、こちらは1冊本だ!


そして、手に取ることに…まず、自分で気づくべきだった。なぜ、中古本を漁って手にした新選組小説なのに、タイトルももろ「新選組」なのに、こうしていつまでも本棚に飾られていたのか…


これは、池波正太郎さんが生きる言葉を取材源とし、そこから発想された小説だ。だから、死んだ者の言葉は何一つ拾われていない。


維新後、身を隠し、親の属した松前藩に逃げ込んで難を逃れた永倉新八が主人公だ。これまで読んだ小説や評論で、永倉新八を中心に描いた物を読んだ記憶がない。そして、これまで読んだ書物から永倉新八という人はどこか新選組の中心部からは隔絶されていた印象が強く、隊内の重要な問題については、一切知らされていない人物のように感じていた。


本作を読むとその印象はさらに強くなる。おそらく、維新後生き抜いて、自分の経験を文字にして(記者による聞き取りだったそうだが…)残した永倉新八氏。池波正太郎さんは、その生きた言葉を取材し、小説にしたのだろう。そして、その言葉以上でも以下でもない部分を「新八」を主人公にこの「幕末新選組」が描かれた。


だから、新選組の流れの中で、外せないと思っていたこともサラリと終わっている。後世様々判明したことに照らせば、間違っていることも多々ある。


これが、事実を小説化する時の面白さなのか、悲しさなのか…


新選組」と言えば、司馬遼太郎さんだ。彼は自らのペンで、新政府がなんとしても自らの正当性を確実にするために作り上げた悪者というイメージで括られていた新選組に光を当て、さらには土方歳三という哀しきヒーローを成立させてしまった。


そこへ行くと池波正太郎さんは、むしろ、対岸に立つ視点を基にペンを運んでいるように感じた。その視点には新選組の中ではどこか蚊帳の外的な立ち位置の永倉新八はベストな主人公だったろう。


分厚さの割にはサラリと読める。