今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

天を測る


今野敏さんの本は読んだことあるけど、歴史小説ではなかったはず。サスペンスなどを書かれる作家さんの歴史小説は、実はなかなかに面白いのだ。


それは、真保裕一さんの「覇王の番人」や帚木蓬生さんの「日御子」などなど…だから、ちょっと期待を大きくして本を手にした。


「天を測る」今野敏 著(講談社)


以下、感想。。。

















期待通りの面白さ!主人公は、天を測ってる小野友五郎さん。幕末に本当に実のある大活躍をされた人物らしいが、これまで新選組中心の幕末知識の中では、全く知らなかった人なのだ。


しかし、小野友五郎の関係する人々の中には、幕末の有名人も多い。そして、なにより、溜飲が下がるというか、胸がスッキリするのは、ワタシ的に幕末の胡散臭い人たちが小野友五郎の視点からすると本当に胡散臭い人たちだったということ。


勝麟太郎福沢諭吉の描き方は、もう本当にグッド!怪しいと言うより、胡散臭い…これまで勝ち組の言うことが「歴史」の真実とされてきたけど、本当かどうかは分からないのだ。江戸時代初期の徳川家康が残した立派な江戸幕府の記述は、ほとんどが彼の都合にそって書かれているわけで。


歴史研究が進む過程で、残された物が真実とは限らないということがハッキリとしてきた昨今、これまでに言い伝えられてきたことを拠り所に作られてきた小説や映画、ドラマはなんだか薄っぺらく感じるようになってしまった。


坂本龍馬勝海舟西郷隆盛福沢諭吉も私が子供の頃は「偉人」だった。野口英世だってそうだ。でも、科学で実証できる結果を以って野口英世には疑問が呈され、現代では野口英世の功績はほとんどが間違いだったと証明されている。それでも、彼が「偉人」なのは、育った環境をバネに学究の世界で挑戦を続けたからだろう。


でも、坂本龍馬勝海舟西郷隆盛は科学では割り切れる仕事をしてきたわけではないので、後世の人間が間違いを証明出来ない。感情的に好きになれない…というのは「間違い」の証明にはならない。


福沢諭吉なんて、お札になってるし…(汗)。幕末を描いた小説で、当時の若者のように革命に身を委ねる気概もなく、戊辰の役で命を落としても仕方ないからと表に出ないで隠れていたと評されていた福沢諭吉。自分の益になることしか興味がなく、道理を弁えない人物として描かれていた本書の福沢諭吉。多くの作家がお札になるような人物に同じような評価をしているのが面白い。


慶応大学を開学して、教育の現場に立ち、心を入れ替えた結果が現代のお札かな?(笑)


勝海舟については、小栗上野介との対比で描かれているけど、絶対「偉人」じゃないよなぁ。現代において、勝海舟のしたことより、小栗上野介が成し遂げようとして礎を築いたことの方がよっぽど評価されている。


勝海舟は日本を動かすと言うような大風呂敷を広げて、結果やったことは徳川家の取り潰しを避けただけ…当時の多くの人が彼の裏切りを実感したに違いないし、今ではそういう形で評価されてもいる。確かに公儀の役人と言っても、突き詰めれば、徳川家の家臣だから、徳川家だけ守れば役目は果たしたことになる。


でもねぇ…


260年もの長きに渡り政治の頂点に君臨した徳川家。なかには、ダメなヤツもいただろうが、時々の将軍を補佐し、政治を動かした実務屋がしっかりと育っていたから、長期安定政権を可能にしたのだろう。なかには国全体を考えられず、徳川家に固執した政もあったかもしれない。それでも、基盤の強さは他の大名家には無いものだろう。


「国」として考える時の視点の違い。小野友五郎は蝦夷から毛利や島津が治める地域までを1つとして捉えているが、毛利や島津の「国」は大名家が直轄する領地だけ。他家の領地は異国であり、徳川家に与するもの…多分、そんな考えが根底にあって、いつかその領分を奪い取り、自らが頂点に立つことこそが国を救うと考えていたんだろうなぁ。


指導層がそういう復讐心みたいなものに囚われていれば、そこで発展するのは自分の利益に立脚する「国」こそ全てという考えなのだろうなぁ。いつか手を携えて共に発展しようなんて考えもしないだろう。


結局、薩摩・長州の新政府は必要以上に徳川家臣団を追いつめ、彼らに拭い去ることのできない復讐心を植え付けたのだろう。それが西郷隆盛率いる旧薩摩藩士を相手取った西南戦争での新政府軍への出仕を盛んにし、政権中枢の人材不足をいつまでも拭えない結果に結びついたと思われる。


人間には感情があるのだ。


小野友五郎の生き方を知るとまさにそう読み取れる。ただ、彼は日本を捨てることは出来なかったのだ。それは時の政権とイコールではないと思う。実直というか、なんというか。政権中枢とは離れた場所で、自分の得意とするもので、自分と「国」とを繋げ、「国」のために力を尽くしたのだろう。


華々しく表舞台を歩き、勝者の歴史の中で評価を得た人ばかりが偉人ではないことを、今の時代、みんな知っている。小野友五郎はまさにそんな偉人なのだろう。