今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ブータン 山の教室


岩波ホールで上映中だった頃、どうしてもタイミングが合わなくて、残念ながら見逃していた作品だ。こういう時、名画座というのはありがたい。


スクリーンには「寅さん」じゃあるまいし、高齢のシニア世代ばかり。「寅さん」も完結してしばらく経ち、シニア世代の皆さんもこういうハリウッド製ではない洋画に足を運ばれるんだなぁと…


お話の舞台は世界一幸せな国、ブータン。国民皆が微笑みを絶やさないと言われる国。しかし、国民の生活はけして豊かではなく、むしろその実態はかなり貧しい国だと言う。それでも、国民の幸福感が高いのは、自分の暮らしに対する捉え方によるのだろう。


この映画は、まさにそうした幸福を感じて生きる人々の姿を映し出す。


貧しい国ではあるが、ブータンの首都ともなれば、町はにぎやかでビルも立ち並び、若者たちは時代を敏感に感じ取っている。そんな若者の1人が本作の主人公。毎晩遅くまで遊び歩いているせいで、朝は同居する祖母に起こされないと目が覚めず、公務員として教職に就いているにも関わらず、全くやる気がない。趣味で弾くギターを持って酒場で歌えば喝采を浴びる彼は、オーストラリアに移住して歌手になりたいという夢を持っている。


このやる気のない青年はとうとう長官から呼び出しを受け、職務への姿勢を叱責される。そして、懲罰人事ではないけれど、数ヶ月の配置換えを言い渡される。


赴任先は、丸1日バスに揺られて着いた町から先は6日間自分の足で歩くしか行く方法のない山に囲まれた村の学校。冬になると道が雪に埋まり動けなくなるために学校は閉鎖せざるを得ない。それまでの間、彼が村の子どもたちの教育を請け負うことになる。


美しい山と厳しい自然。スイッチを入れれば、電気やガスが使える都会とはまるで違う生活に戸惑いながらも、子供の未来を信じる村長に出会い、教師は未来に繋がる職業と言われ、子どもたちとの触れ合いの中で少しずつその言葉の意味を感じ取っていく主人公。


けして便利に走ることなく、厳しい自然の中ではあるが、自然に寄り添い、その恵みに感謝し、その土地で暮らし生き続けること。


都会人の主人公は、目を開かせてもらい、意識が変わり、教師としての情熱のようなものを少しずつ取り戻していく。その姿勢を見て、春になったら再び村に赴任してもらいたいと村長や生徒たちが遠慮がちに思いを告げる。


感動を謳う映画なら、ここで主人公は春の来訪を約束するのだろう。だが、本作はまるでドキュメンタリー映画のようにそこは淡々と描いていく。村人の山への祈りや人生を謳う姿など土地の暮らしについての理解は深めていったが、赴任は期間限定で山を下りれば海の向こうの遠くの国へ行くと村長に告げる。


主人公には山の教室での仕事は自身を成長させる貴重な経験ではあったが、村人にとってはそれは「運命」と言えるほど大きな意味があったように思う。


その感覚の違い。何もない村には豊かな自然がある。自然がもたらすものと共存し、感謝し生きる人々。彼らと共に生きるのは都会暮らしの青年にはハードルが高いだろうことは見て取れる。しかし、彼らの感謝の意味を理解できただけでも評価すべきかも…


ラストシーンにはオーストラリアに移住した主人公がバーで歌を歌っている姿が映し出される。何も知らなかった頃より、彼は一段成長しているように見受けられる。


「幸せ」の基準はいかなるものか、現実を淡々と描く良作だと思う。