今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

峠 最後のサムライ


司馬遼太郎先生著作「峠」が本作の原作。監督は小泉堯史。主人公は幕末の長岡藩で家老を勤めた河井継之助。で、河井継之助役所広司


公開は6月中だと思うけど…今回は試写にて観賞。コロナも少し落ち着いてきて、大きな会場での試写会も始まりました。私には本作が最初の1本。1席空けルールもなく、場内はほぼいっぱい。


スクリーンが小さく、場内の暗さも映画館とは比べ物にならない単なる薄暗がり(汗)。元々暗いトーンの映画なので、さらに暗いシーンではとても観にくかった。


「義」を重んじる姿勢は長岡藩の皆の心に流れる共通の認識のようで、小さな藩が様々な困難を乗り越えて幕府や近隣の諸藩と折り合いをつけてきたようだ。


物語の舞台となる戊辰戦争勃発の頃は、それぞれの藩は新政府におもねり、寝返っていく状態だ。


継之助はなんとしても藩の領民を守るのが第一と考えている。仮に新政府に寝返ったとして、将来若い人たちの世代にどんな世が待ち構えているか分かったものではない。


そこで、継之助主導のもと、長岡藩は小さいからこそ、その特性を活かし、最新の武器を揃え、軍を鍛え、自らの場所は自らで守る体制を整える。


新政府軍が北上するに当たり、通過点となった諸藩は戦わずして次々と裏切っていく。長岡藩には隣接する新発田藩の裏切りは痛手で、土地を離れざるを得なくなる。東北の雄、会津はいよいよ追い詰められ、仙台藩を中心とした列藩同盟もいつまで持ちこたえられるか。


そんななかで、継之助は大怪我をする。銃に撃たれた傷口からは大量に出血し、以降自ら歩くこともできなくなる。自らの死期を知った継之助は藩の要人や部下や領民が会津へ避難したのを受け、自ら屋敷に火を放ち最期を遂げる。


幕末。江戸幕府は長い安定の世を送っていた反面、動きのない時代は腐敗を増長させる。だから、幕府の目が届きにくい西の諸藩は自らの野望を遂げようと動き出す。


幕府に今の世を与えられたという感謝が根底にある長岡藩などとは最初から捉え方も違っていたのだ。既に政治や経済など屋台骨が揺らいでいた諸藩は、もう新政府に抗う気概もなかったのだ。


幕末、多くの幕府側の人々が亡くなった。行き詰まった幕政の中で、それらを打開すべく登用された若き侍たちも多くいたはずだ。彼らをリードする先進の気概溢れる継之助のような人物たちも…


彼らが後の明治政府に登用されたとは聞かない。結局、薩摩、長州の意の通りの国づくり。


この辺りの小説を読むと、やはり、薩長のリーダーたちには人を活かす力が欠けていたんだなと思う。映画でもそれは十分感じられた。


河井継之助を語る司馬遼先生の「峠」。読んでみたいけど、近隣諸藩の裏切りにきっと頭にくることは分かりきってるので、気持ちの落ち着いてる時に…


最後に皆さん地味めな役者さんばかりで、特徴的な目に付く芝居は少なかった。永山絢斗は侍ではなく、継之助の家来というのかな。だから、目立つこともなく…役所広司の圧倒的存在感で引っ張る映画という感じだった。


なかでも芳根京子は出なくても十分話は通じたし、長岡藩が聞いてた話と違い苦境に立たされた時、大勢の見物人の中から飛び出して年端も行かぬ女の子が家老に大声で文句を言うってあり得ないと思った。あれは原作にあるのだろうか。だとしたら、あそこだけは妙に出来物感が強かった。残念な女優さんなんだよね、芳根京子さん。地味だし、真面目な役どころは確かに上手なのかもしれないけど、何も残らない。