今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡


大好きな神保町の岩波ホール。7月29日の閉館まであとわずか。最後の上映作品「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」を観てきた。


最後の最後まで攻めるなぁ、岩波ホール


自らの足で歩き、自分の目で見てきたことを元に小説を書いたブルース・チャトウィン。彼の足跡を今度は生前親交のあったヴェルナー・ヘルツォーク監督が追う。


ヴェルナー・ヘルツォーク監督とは小説家と映画監督として程よい距離を保ちながら繋がっていた。というのも、ブルース・チャトウィンは放浪というと聞こえは悪いかもしれないけれど、現状に甘んじることなく、バックパック1つで自ら見て歩いて、自分として確かなことを広く知らしめていった。


本作は、ブルース・チャトウィン死後、ヘルツォーク監督が彼の足跡をドキュメンタリー映画に残すことで、彼自身が残しきれなかったものを形にしたということ。


チャトウィンは旅する中で、妻だけでなく、男性のパートナーを持つ。そして、まだ世界ではあまり知られていなかった初期のHIV感染者として闘病に入る。


顔だけ見たら、ハリウッド俳優顔負けのイケメンだ。モテただろうな…と映画ポスターに写るチャトウィンを見て思っていたが、彼の寿命を縮めたのはそれだけではなかったのだな。


申し訳ない話だが、ブルース・チャトウィンヴェルナー・ヘルツォークもその名すら知らなかった。ヘルツォーク監督の10年前に日本で公開された映画のタイトルを見て「あぁ、このタイトル聞いたことある!」っと思ったくらいで、ほぼ事前予備知識無し。


それでも観ておきたかったのは、作品チョイスにいつも唸らされる岩波ホールの最後の上映作品であるということと映画ポスターのチャトウィンの佇まいが理由。


自らの体験を書き起こしてきたチャトウィンが、病魔に冒されて短い人生を閉じるというのはどれほど無念だったろうかと。いろんな価値観があり、いろんな人生があり、それらは今でも全て認め、受け入れられている訳ではないけれど、初期のHIV感染については理解の無い世間に苦しんだことだろう。


ヘルツォーク監督自身もチャトウィンの同性との交友関係を知り、距離を置いたことを認めている。世界はまだそういう時代だったのだ。だから、彼らの間でHIV感染が急激に広がった時、さらなる偏見の目に晒されたはず。


それでも妻は彼らとの関係もチャトウィンとの関係もこじれることなく認め、受け入れていた。普通にできることではない。そうした、様々なインタビューや記録を元にヘルツォーク監督がチャトウィンの仕事や思いを映像に残していく。


チャトウィンはステキな友人を持ったのだなと…


原題は「ノマド」。あの「ノマドランド」の「ノマド」だ。かつてはジプシーもノマドと言われていたと。1つ処に留まらず、自らの足で生きる場所を見出す。チャトウィンの生き方そのものだ。