ここしばらく、図書館の本を読んでいたけど、予約本の状況も一段落したので、溜まりに貯まった手持ちを手に取ってみた。
「鬼と人と 信長と光秀(上・下)」堺屋太一 著(PHP文庫)
以下、感想。。。
ずっと、ずっと以前のこと。本作が単行本として上梓された時、かなり話題になった。それは覚えていた。それ以前、信長は何においても注目人物であったけれど、明智光秀に関しては、信長を討ち取った人くらいにしか認識していなかった。
1度は両者を比べて読めるものをと考えていた。
大河ドラマで「明智光秀」が主人公に抜擢され(笑)、光秀に関する資料の新発見が続いた。つまり、皆がよく知る信長に対して、光秀はそれほど知られた人物ではなかったのだ。
三日天下と言われる光秀の「天下」は、彼の認識の甘さと人望の無さが招いた当然の結果だが、彼にも人並外れた才はあり、少なくとも新たな評価がなされたのは事実。しかし、おそらく、堺屋太一さんが本作を著された頃の資料にはその辺りの記述は皆無であったことだろう。
それでも、光秀の人となりをかなり読み込んで描かれていて、作家というのはなんとも優秀で目の行き届く才を持っているものだと感じ入る。
本作は、信長と光秀、それぞれが時を同じく、独白する。同じ出来事をそれぞれの視点で捉え、それぞれの思いを語る。
戦国時代、日本各地に割拠した小大名たちは先祖伝来の土地に住み、親子、兄弟が1つのコミニティで暮らし、競い合う。それは頂点に立つ者たちだけでなく、そこに支える者たちも長きにわたり同じコミニティで主従関係を結んでいた。そうした、密で先の見える集団運営が常識だった時代に、個別に繋がりを持ち、人材登用にあたった信長は異彩を放っていたろう。しかし、既に出来上がった関係性の外側にいた者にとっては、信長こそ、世に名を成す足がかりだったはずだ。
信長のそうした登用は、彼としてはそれまでの殻を打ち破る手段であり、己の思う国造りにおいての第一歩であったのだろうが、果たしてその思いを理解していた者はどれほどいたろうか。
信長の先進的な思想は、結局、当時の常識に囚われたままの人間にとって戸惑いしか生まなかったのだろうなぁと感じた。
よく、あの時信長が死なず「天下布武」を成し遂げていれば、産業革命が起きたのはイギリスでなく日本だったという見解を述べる学者もいたと聞く。それほどの進歩的、革新的発想はこの日本において、おそらく明治の頃まで登場してこなかったのではないだろうか。
戦国の慌ただしい時代に、しっかりとした信長発信の文物が残っていようとは思わないが、それでも、どこかにまだ発見を待つ資料がないものかと夢を抱く。それほどに時代を飛び越える光を放つ人物だった信長。しかし、その時代にはきっと1番そぐわなかった人物でもあるんだろうな…
それが信長の不幸であり、なにより、時代の常識から逸脱することこそ悪と信じて疑わなかったと思われる光秀を側近として登用したことが本能寺での最期を決定づけたんだろう。