今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

新選組関連を読んでみる

映画「銀魂」に端を発した「新選組」熱(笑)。図書館のサイトで「新選組」というキーワードを打ち込むと出るわ、出るわ。

せっかくだから、読んでみようと手に取った「新選組 幕末の青嵐(木内昇著)」が、かなり満足度高く、面白かったので、ついつい調子に乗って、あれこれ読んでみようかと。

最近は決まった作者の新刊本が出そろった段階で、一気に図書館に予約して、長い長い予約列の果てにやっと読むということを繰り返してるので、あまり読書に時間を割かなくなってた。

老眼が進み、読むことに消極的になったのも1つの原因だし、ホントは「買って読む」ことが基本だと思ってるので、どうしても図書館にお世話になってる現状が後ろめたい(汗)から。

でも、新選組関連はほとんど「予約0」の本だったので、こちらのペースで読めそうだし、何冊か読んでみよう!と。やっぱり、テレビの影響は大きいらしい。大河で「新選組」をやった時に多く導入された本のようだ。

ただし、史実をベースにしてることを忘れてはいけない。歴史の流れを変えるわけにはいかないから、当然、事は起きるし、人は死ぬ。

史料としての読み物か実話ベースのフィクションか…

同じ人物に対しての評価が全く逆のこともあろうし、ましてや様々な形で世に登場した新選組という材の扱い、こちらの好みによって、その作品への評価も変わりそうだ。

さて、どんな事になるだろう。









『官賊に恭順せず 新撰組 土方歳三という生き方』原田伊織 著(角川書店)


「恭順」とはただ付き従うことではなく、こころからの尊敬をもって従うことらしい。つまり、土方歳三は幕末にあって「官」となった薩長にも、「賊」となった佐幕派の生き残り会津にも恭順せずということらしい。

我の道を突き進む。その先に何があろうと生きて新時代を迎えることなど考えてもいなかったということ。

著者自身の研究を下に幕末の動乱から明治維新と言われる時代に否定的な目を向ける本作。

歴史は勝者が書き換えるという現実を踏まえ、なかなか面白い考察だと思った。新しい視点で語られる時代の流れ。それでも、歴史研究書ではないので、読み物としての読みやすさを第一に綴られている。

天領である多摩の農家の息子、土方歳三が当時の支配階層の人々と並び立つという痛快。この時代でなければ成り立たなかった歴史の奇跡なんだろう。

その昔、個性的な社会科の先生が言っていた。「身分云々に左右されない力を持った人間が我先にと歴史の表舞台に現れて、前を行く者を踏み下す。結局、多くの一級の人材を失ってしまった」と。それに近い考察だった。学生の頃は明治の世を開き、押し進めた人たちこそ日本を救ったのだと単純に思ってたけど、そうでもなかったことが知れる。





新選組奮戦記』永倉新八 著/【注】菊地明(PHP)


こちらは新選組の初期から名を連ねた古参の隊士が維新後も生き残り、最晩年に当時を振り返り語ったことを文書に起こしたもの。

数多くの新選組関連書物の中で、当時の現実を知る貴重な資料として存在感を強めている。なにしろ、当事者なのだから。

しかし、読むほどにクビを傾げることが多くなる。この本を読む前にあくまでフィクションの小説一篇と史料を下にした読み物一篇しか読んでいないけど、どちらも大筋の流れに大きな違いは無い。ところが、本作はピンと来ない部分がかなりある…

作者はあくまで当時を語った永倉新八自身。その内容を新聞連載し、それをまとめた物が本作。本人が語ってるのに記憶違いが多い内容のため、最低限の注釈を菊地明氏が添えたもの。

もう少し早く、彼に取材して話を聞いていたら、また別な形になったかもしれない。世が定まらぬうちは語るべきでないと彼は思ったのだろうか。

読んでいて、なんとなく違和感を抱いたのは、本編を通して、「鬼の副長」と恐れられたという土方歳三の存在感の薄さだ。新選組といえば、土方歳三というイメージのある私からするとかなりの違和感。

土方が登場する場面は数えるほどだ。何をおいても自分で飛び出していく近藤勇。率先垂範のリーダーとしては素晴らしいが、ドンと構えていないといけないのもリーダーの大切な役割。

そんな自由奔放なリーダーを影で支え、様々な戦略を練って組織をまとめあげたのが土方なのか?だから、表舞台への登場が少ないのか?

永倉視点の話に土方の登場が少ないのは、あくまで永倉は現場部隊の最古参の剣士であって、事務方的な役割もこなしていた土方と接点が少なかったということか?

これは永倉新八が隊の全てを知る人間ではなかったことの証明にならないか?

当時を知る貴重な資料(彼個人の思い違いなども多く、史料とは言えない…)ではあるが、あくまでも個人的な視点に立つその人の来し方だったと捉えた方が混乱が無いように思う。

明治を生きて迎えた他の隊士も何人か名前を聞く。古参の隊士では斎藤一が知られているが、彼は黙して語らずの姿勢を貫いたのか。彼の話こそ聞いてみたかった。

現場にいた本人にもかかわらず、思い違いなどが多く指摘されているが、裏を返せば、それだけあの時代は混乱しており、情報がどこまで正しく伝わったのか不明な中での記憶なのだ。また彼ら自身に正確な記録を残す習慣が無かったのではないかと。死を前にして辞世の句とか読んじゃう時代なのだ。その点を心して読むべきと思う。





『史伝 新選組』三好徹 著(光文社)


著者の三好徹さんって、歴史小説の人だと思ってたので、この方の描く「新選組」なら、どちらかに偏った姿でなく、良くも悪くも公平な視点に則した話に触れられるのではないかと手に取る。

小説だから、三好さんの取材を元にした物語が展開する部分もあるにはあるが、どちらかと言えば、当時を知る人々が遺した数々の日記や記録に依るところが多く、そこからの著者による考察、推察が語られている形だ。

なかでも、歴史的な史料を元に推察すると、新選組と接点が大いにあった者にかぎって、新選組土方歳三について語っていないと著者は書く。

後世に伝えられる歴史は勝者による勝者の目線から見た物が多い。

新しい時代を迎えるにあたり、最後まで新政府に抗いながらも、最終的にはそこに命を賭けるほどの覚悟がなかった人々にとって、五稜郭で唯一戦死した幕僚・土方歳三を語ることは、自らの後ろめたさを明かすことになると著者が訴えるのはあながち嘘ではなかろうなと。

それに新政府が実権を手にした直後は、新選組といえば、新政府の主たる勢力であった薩長の人々にとって「仇」だったわけだから、当時の勝者の歴史に登場しないのも仕方がないのかもしれない。

この本を読むと、新時代の中心的な立場に成り上がったのは、国が大きく動く時代に表に立たず、上手く逃げた人ばかりのように思う。将来を嘱望された人物にかぎって、事変や戦闘で命を落としている。人生にはツキが必要なのだと強く感じる。





ひとまず、一気に3冊読んだ。「幕末の青嵐」に始まり、新選組関連の本を4冊読んだ。それぞれ、小説だったり、聞き書きだったり、史料としての考察が綴られたり、様々な視点の文章に触れ、まだまだ読んでみたくなった。

こんなにハマるのは久しぶりだなぁ。それにつけても、土方歳三はカッコいい!