今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

新選組日記


初夏のような暖かさになったり、真冬に戻ったかのように冷たい雨が降ったり、春はなかなかすんなりとやってこない。


天気のように気持ちも落ち着かず、ゆっくり読書する気分にもなれなかったので、久しぶりにやっと1冊読みきった。


新選組日記 永倉新八日記・島田魁日記を読む』木村 幸比古(PHP新書)


以下、感想。。。















新選組土方歳三を題材にした小説はもうだいぶ読んだので、今度は違う方向から。既に1冊読んだけれど、筆マメらしい永倉新八さんの書き残した日記と永倉隊で伍長を務めた島田魁さんの日記を合わせて読めるとあって、手に取ってみた。


以前読んだ永倉さんの本は、北海道で新聞連載になった記者による聞き書きだが、こちらは本人が書き記したものを二段組にして掲載。上段に本人の記した原文、下段に現代文。


なにしろ江戸時代に教育を受けた人たちだから、文章は漢文だ。私は現代文と各章ごとに付けられた著者による解説だけを読んだ。


2人ともあの幕末の戦乱の最中ではそんな時間も無かったろうから、函館陥落後、当時の記憶を辿って書き残したようで、著者によって、記憶違いの箇所も指摘されている。それでも、当時その場にいた人だからこそ、感じ取れる緊迫感なども伝わってくる。


聞き書きだった永倉さんの本は、新選組での出来事で池田屋事件以外の肝心なところでは永倉さんの知らないことが多く、この人はいざという時はメンバーから外されていたのだなぁと感じたものだが、今回の日記を読むとまぁそれも仕方ないのかなと思う。最初から一枚岩では無かったことも感じられるから。


新選組と言えば、沖田総司斎藤一などの名も外せないが、永倉さんの日記にはその辺の人に関しては特に深く触れてはいない。


日記の終盤。近藤勇が官軍に出頭した辺りからはあまりにあっさりと終わらせている。土方歳三に至っては、無くても良いくらいの締め方。新選組とは道を分かち、知ることがなかったのだろうなぁ。その辺も正直と言えば正直な日記だ。


島田魁日記は、鳥羽伏見までと函館の2つに分けて書かれている。ある意味、新選組の通史と言える。最後まで新選組の隊士として戦い抜いた島田さんだからこそ書けたものだ。


その場での自分の感じことなどより、実際の出来事や戦況など、淡々と書き記されている。ただ、そんな中でも、後半の函館篇では陸軍間道隊の総督となった土方歳三について、戦場での様子などエピソードを書き記しており、彼が土方歳三を敬愛していたことが伺える。


後世の人が知る歴史とは、勝者の歴史である。たとえ、そこに道理があろうと義があろうと敗者は敗者でしかなく、勝者が語る手前勝手な自分を正当化した歴史の前に頭を垂れるしかない。まさに新選組の存在は勝者にとって、これ以上ない「悪」として喧伝されたのだろう。


でも新選組とは不思議な存在で、今や「悪」としての立場はほとんど払拭されている。それは永倉さんや島田さんが自分の見聞きしたものを書き残していったのも大きかったのだろうか。


まぁ、現代もそうだけど、権力を握るまでは真摯に行動してても、いざその地位に就くと慢心して、権力に取り込まれてしまう輩が多いから、当時もそうだったんだろう。その反証として、会津新選組が理解を得ていったのか。。。


卑弥呼のことがよく分からないのは、時が経ち過ぎてるからと理解できるが、ほんの150年前のことが分からないのは、やはり勝者による歴史の塗り替えを感じるよね。